2010年9月1日水曜日

北海道は美味しい⑤

































































































































































































































































☆まず、写真から。面白いなあ、と思った風景、白樺とフキ、バスの停留所には吹雪除けの小屋が設置されていること、道路の上の方に矢印が。これは『ここが道路ですよ』と、雪に埋。った道のありかを示す標識。また、信号が縦に並んでいること。これは雪の重みに耐えるように。それから、二重玄関。寒さが玄関から入ってこないように。
魚は、イトウとニジマス。





阿寒湖温泉を朝7時半に出発し、バスは一路富良野、美瑛、そして旭川の旭山動物園へ。


富良野はあんまりピンと来ず、ただ、ファームトミタの花畑は見事でした。ラベンダーの季節はとっくに過ぎていましたが他の花がきれいでした。そこで驚いたのは中国人、韓国人観光客がスゴク多かったこと。家族連れでのツアー旅行みたいでした。


美瑛は良かったです。大地が大きくうねっていて丘陵が幾重にも続いていました。その多くは芝が植えてあるようで、もっと早く来ればそれこそパッチワークの丘にふさわしい光景となっていたでしょう。


ですがわたしはこちらのグリーン一色の方が好きでした。

その丘の上にぽつんと木が立っていて、その景色は本当に絵のようでした。


旭山動物園は旭川の山の中腹にあり、坂ばっかりでした。意外にこじんまりとしていました。


女房のお袋さんは坂のきつさにギブアップし、途中で園内バスに乗って行きました。私たちでもそうとうシンドイ坂でした。


動物園に入場するやいなや夕立が襲ってきて、傘がないわたしたちはずぶ濡れに。
しかも気温が19度だったので肌寒さも。


お目当ての、アザラシの水中トンネル、空飛ぶペンギン、しっかり見てきました。たしかに動物たちが生き生きとしていました。シロクマのダイブは見れませんでしたがシロクマ君を間近で見ることが出来、一番興奮しました。あの巨大な体と恐ろしい口でガラス1枚隔てた50センチ先から威嚇され、もの凄くビビリマシタ。


旭川の町はなんかひっそりとしていて活気が無さそうでした。


その後は一路札幌へ。そして札幌の南に位置する定山渓温泉へ。250キロ以上走ったはずです。


ホテルに着いたのは7時頃。


この旅で3泊目、最後の宿泊です。ホテル自体は一番上等でした。温泉も食事も部屋も。



ただ、温泉の泉質そのものは最初に泊まった温根湯温泉の怖ろしいホテルが一番でした。



それでも、夕食のバイキングには圧倒されました。何でもかんでもそろっていて全部美味しいのです。



和洋中ありとあらゆる料理が並んでいました。ステーキも目の前で焼いてくれるのです。小振りでしたが2枚食べました。大根おろしと西洋わさびをたっぷり付けるとめっちゃ美味しかったです。


なかでもこれは!と思ったのが、芋煮風うどんでした。だしがすごく美味しくて感動の域にまで。


このホテルには同じ北海道の北見から中学生たちが修学旅行に来ていました。えっ?なんで同じ北海道に修学旅行に?と疑問に思いましたが、考えてみると北海道は九州と四国を足した面積よりもまだ広いのですから、不思議ではないのかも。彼女たちと同じエレベーターに乗り合わせたのですが、きびきびしていてとても可愛らしかったです。すれていないんです。


翌朝の朝食バイキングもまた美味しかった。とにかく毎朝出される牛乳はほんなこてウマイッ!の一言。



それと、コーンスープがまたさらりとしててしかも濃厚で、この、牛乳とコーンスープだけは九州では真似できないなあ、と脱帽。毎日頂きたい、と思いました。



そして最後の観光地は小樽。これが超がっかり。こんなにしょーもないところだとは思いませんでした。


女房たちはひたすらおみやげのお菓子巡り。と、六花亭で有名人を見ました。裏千家の千の宗室さんです。お顔はかなりシワが多かったです。


新千歳空港でツアーが解散したあと、わたしは空港内のラーメン横町で味噌ラーメンを食べようと思いましたが、行列が出来ていて断念。


この空港はもの凄く広くて大変でした。どこに何があるのかよく分かりません。だだっ広いので疲れ果ててしまいます。



ANAボウイング700が福岡空港に到着して機内から出た途端、モワ~ッとした熱気に覆われてしまいました。


やっと無事に帰り着くことが出来ました。空港近くのペットホテルに預けていたわんこを、ホテルのスタッフがクルマで空港まで連れてきてくれました。わんこは4日振りの再会に女房たちをナメナメして興奮してました。この犬も我が家の一員なんだなあ。



※これで今回の北海道旅行も終了です。行って良かったです。女房は、有料の観光地がツアーに入っていなくて無料の場所ばっかり見させられて少々怒ってました。わたしは逆に北海道の普通の人たちの日常生活を見たかったので、バスをひた走るばかりのツアーも良いな、と思いました。道々でいろんな町を見ることが出来ましたし、北海道を、宗谷岬方面以外は結構見ることが出来、その大きさを実感することも出来、満足です。



今度は是非真冬の北海道に行ってみたいです。



2010年8月31日火曜日

北海道は美味しい④


























































阿寒湖温泉に到着したのは夕方5時半。ホテルの夕食が6時半からなので、温泉にはいるか町を散策するか迷いましたが、散策することに。


湖畔を見たあと土産物を売っている商店街をぶ~らぶら。アイヌのお守りのフクロウとかコロボックルとかひげを生やしたアイヌの神様なんかをモチーフにした彫り物が多かったです。


 一通り町を見尽くしたな、と思ってホテルに引き返しました。ところが実はこれが大間違いでした。大事な場所を見損なっていたんです。それは夜8時から始まった千本たいまつという祭りで初めて知ったのです。

 一旦ホテルに引き返し、夕食をとりました。バスツアーなのでみんな一緒に大広間で取りました。


大した料理ではありませんでした。ただ、味付けは良いのです。北海道の料理は本当に味が良かったです。ハズレが一つもありませんでした。前にも書きましたが、多分素材と水が美味しいからではないでしょうか。

 夕食後、女房と二人で千本たいまつに参加。


これは阿寒湖温泉の全ホテルが共同で催しているようで、集合場所は阿寒湖温泉で一番大きなホテルニュー阿寒の湖側でした。


そこには150人くらいの宿泊客が集まっていました。そこでスタッフからサラダ油に芯を垂らした灯りをもらいました(披露宴会場のテーブルに置かれているヤツ)。それは透明な筒の中に入っていて、提灯のようにして持つのです。


その提灯をもって湖畔を数分歩きました。到着したところは観光船の船着き場。すると、真っ暗な湖の向こうから小さな小舟がゆらゆらと岸辺にむかってやってきました。



アイヌの衣装を着た三人が乗っていました。一番後ろにはひげのおじさんが赤々と燃えるたいまつを高く上げて立っていました。
小舟が岸に着くと、たいまつを持ったおじさんがオリンピックの聖火台みたいなヤツにたいまつの火を移しました。


その後、参加者全員にたいまつが配られ、スタッフがたいまつに点火し、いよいよ行進が始まりました。

それまで、バックに幽玄な感じの音楽が流れていたのが、一転、いかにもアイヌの音階、というような歌に変わりました。その歌が流れ始めた途端、わたしのハートはググッと捕まれてしまいました。

スゴク良いんです、その歌が。下の動画で聴いてみてください。


最初持たされた小さな灯りと違い、たいまつは結構大きくて、炎がまた怖くなるくらい大きいんです。

そんなたいまつを150人が持って行進を始めたのですから、巨大な炎の固まりが町を練り歩いているようでした。


町を散策していた人たちもスゴク興奮してこちらを見つめていました。見物人たちに見られて私たち行進組もさらにヒートアップ。


で、このまま終わるのかなあ、と思っていた矢先、行進は商店街を左に折れて進んでいきました。


そこに何があるのかなあ、なんてのんきにしてたところ、100メートルほど進んだところに、なんとアイヌの村が!


4メートルもある大きな木製の門の上にでっかいフクロウの木彫りが飾られていました。スゴク躍動的で感心しました。足の恐ろしいかぎ爪が今まさに獲物に襲いかかろうとしている、自分がまるで逃げ場のない子ネズミになった気がしました。


門の中は登りの坂になっていて、約60メートルくらいあり、最頂部には神様をお祭りする祭壇が、その手前にはインディアンのトーテムポールそっくりの柱が数本立っていて、その前にアイヌの長老が座り、左右にアイヌの女性たちが控えて、紐の一方の端を口にくわえ、他方を手に持ち、指でビ~ンビ~ンと弾いて音を出す、アイヌ独特の楽器を演奏していました。


そのアイヌの長老の前に持ってきたたいまつを置いて、長老がお話をし、予め書いておいたお祈りの札を祭壇に入れてお祈りして祭りは終わり。



なまめかしい炎とそれが照らす独特の雰囲気に飲み込まれてしまいました。


アイヌの伝統をこうした観光のイベントに使うことに異を唱える人もいるでしょう。ですが、わたしはすっかり感動してしまいました。


昼間行ってきた知床のオホーツク文化をここで見ることが出来た気がしたのです。



明らかに私たちのヤマト文化とは違う独自の文化が存在するということにとても感動したんです。



わたしたちはこのような文化をリスペクトしなければならない、と強く思いました。




このブログを書いている今も、あのとき流れていたたいまつの歌とビ~ンビ~ンの響きが聞こえてきます。



翌朝、朝5時に起き、朝風呂に入り、6時半から朝食。7時半出発。目的地は富良野、美瑛、そして旭山動物園、とまりは250キロ走って札幌の南にある定山渓温泉へ。

※忘れないうちに。テレビのBS民放で、なつかしの『ジェットストリーム』、そう、あの城達也さんがナレーションした、深夜零時からの日本航空提供のラジオが、流れているのを知りました。テレビですから、城達也さんのナレーションにそのセリフにぴったりの場所が映し出されています。雰囲気良いです。

以下続く


2010年8月28日土曜日

北海道は美味しい③



































































床五湖のうち1湖が見える木道を歩きました。広大な湿原地帯の中に熊対策も兼ねて背の高い木道を設置し、電流を通してました。




ところどころエゾシカたちがのんびりと寝そべっていました。



知床、オホーツク海、イメージしてたのと違い穏やかでした。ですが、知床世界自然遺産センターで大きな地図写真を見たとき、ガーンともの凄い衝撃を受けました。




樺太、カムチャツカ半島、シベリアが写っている巨大衛星写真のパネルが展示されていたんです。それを見ると、このでっかい北海道が豆粒みたいに小さいんです。



きっとこれらの地帯はヤマト文化とは独立した独自の文化圏を形成していたんだなあ、と実感しました。それというのも北海道は植生が全く異なっているからです。これは気候風土が異なること、すなわち人間の生活、考え方、宗教、思想も違って来るということを意味します。



要するに本州や九州とは全く異なる世界がここにあるんです。


知床を後にしてバスは屈斜路湖、摩周湖へと走り続けました。


摩周湖は霧で全く見えませんでした。ですが、意外にこれで良かったと言う気になりました。霧の摩周湖が見えたからです。



そしてこの日の最終目的地、阿寒湖温泉へ。


結構大きな湖でした。ですがそれ以外にはあまりビビッと来る物はありませんでした。


ところが、夕食後、町が主催してやっている千本たいまつというイベントに参加したんですが、これがこの旅で一番感動した体験でした。



以下続く











2010年8月27日金曜日

北海道は美味しい②














































ANAボーイング700440人乗りが新千歳空港に降りようとしたとき、下北半島あたりから雲が出始めていたのがますます分厚くなり、機内はガタガタと揺れ始めました。
心臓がドッキンドッキン言ってました。
到着し、バスに乗り込もうとターミナルから出ると、ひんやりとした空気に驚きました。温度表示板を見ると17度!
博多が35度だったので、遠い北国に来たことをまさに肌で実感しました。
 バスは温根湯温泉(おんねゆおんせん)という、聞いたことのない辺鄙な田舎町に向かい、雨中を4時間もひた走りました。
 着いたころは真っ暗。アメリカ中西部の砂漠のど真ん中にポツンと一軒だけ建っているモーテルの雰囲気の、古くさいホテルでした。昭和の雰囲気プンプン。部屋はかび臭く、建物はぼろぼろ。お風呂はコンスタンチノープルの地下の廃墟のようで、ちょっと恐ろしかったです。
夕方7時過ぎに到着したのでいきなり夕食に。食事は質素な物でしたが、味は良かったです。ジャガイモをふかしてバターとイカの塩辛を付けて食べるという食べ方が気に入りました。
それから、牛乳が新鮮かつ濃厚で、そのくせさらりとしていて旨い!水もまたミネラルウォーターみたいでした。
車中でガンガンかかっていた冷房にやられ、ただでさえ肌寒かったのにうたた寝したもので鼻風邪をひきました。
そのホテルは、ただ食べて寝るだけの宿泊所みたいなものでした。ただ、温泉だけは一等で、北海道で入った温泉のなかではピカイチでした。もっとも、温泉に目が肥えている九州人にとってはまあ合格、といったレベルかなあ。
初日は入浴後バタンキュー。
二日目は小雨の中、網走知床へ。網走は、な~んだ、的な感想でしたが、知床はさすが世界自然遺産だけあって、ジスイズネイチャー、でした。
とりわけ空気のうまさに感動感動。オスのエゾシカにも出会えてラッキーでした。
知床五湖への木道は湿原の雰囲気がスゴク良かったです。
 バスの車内から見て驚いたのは道沿いに生えている蕗の大きな葉っぱの群れです。こんなの見たこと無かったので北海道らしさをとても感じました。
 また、北海道らしさと言えば、しょっちゅう見かける小川です。河原がいかにもワイルドで、カナダの大自然(行ったことはないですが)みたいでした。赤毛のアンがみたら嬉しくて踊り回りそうな可愛い小川、シャケが遡上してきそうな石ころの岸辺の側に白樺の木立がパラパラと立っている、そんな小川をたくさん見かけました。
☆写真、下から3つめの土まんじゅうは、網走刑務所の囚人たちが道路工事のためにかり出され、鎖でつながれたまま働かされ、終いに力尽きて死んでいった際、土葬した墓の上を盛土し、その上につながれていた鎖を載せて埋葬した跡です。
2泊目は阿寒湖温泉。ここがわたしの一番の思い出となりました。千本たいまつ祭りというのに参加したんです。
これについてはまた明日ご報告します。







2010年8月26日木曜日

北海道は美味しい①







無事に帰り着きました。飛行機が怖いので、いつも自分の乗ってる飛行機が落ちるのではないかと魂が凍る心地です。
それから、私たちが新千歳空港に到着したとき、雨が降っていました。あ~あ、と思いつつ、バスは一路網走の手前まで一気に雨の中を4時間近くも突っ走りました。
でもそれが良かったのでした。というのは、その日の札幌というか北海道西部地域はもの凄い豪雨になったみたいで、川の決壊、道路の陥没などで旅館に閉じこめられた観光客らが大勢出たようなので。また死者も数人でたそうです。
ところが北海道はさすがに広く、網走方面はそれほどひどくは降りませんでした。
ただ、気温が九州と比べてえらく低くて、車中でうたた寝していたところ鼻風邪を引いてしまいました。翌日一杯鼻水タラタラ状態でした。





 しかしまぁ、北海道、行って良かったです。三泊四日の旅でした。強行軍でした。1日450キロもバスで飛ばす日もありました。ですがわたしの興味の対象は観光というよりむしろ北海道の自然や人々の暮らしを知りたかったので、道路沿いでしたが道民の人たちの自然とのつきあい方を少しは知ることが出来、とても勉強になりました。





おいおい、旅の感想をだらだらと書き綴って行きたいと思います。





とりあえず旅行から帰り着いた今、強烈に印象に残る北海道のイメージは、





大きなフキの葉っぱ・・・コロボックルがその下に隠れているのではないかと想像してました。





水と食べ物がスゴクすごく美味しくて仰天・・・味付けもまたさっぱりとしていて、多分水が美味しいからでしょう。





空気が美味しい・・・・さわやかなとても美味しい空気でした。とりわけ知床の空気は絶品でした。





小川のせせらぎがすばらしい・・・・北海道はどこに行っても森の中を小川がいくつも流れていて亜寒帯らしさがとてもよく現れていました。





強烈に高い山が意外と少ない・・・・九州のような急峻というのはあまり見かけませんでした。むしろ段々と高くなっていく、なだらかな山並みが印象的でした。けど、スケールがでかいのでいつの間にか山が高くなっている、という漢字でした。





田舎はすごく寂れている・・・・・廃屋、閉鎖の連続でした。札幌だけが190万人、北海道第二位の町旭川は35万人、と急激に小さくなってます。その旭川も、なんか歯の抜けた櫛のようで、スカスカした感じでした。





札幌だけが異様に広くて大都会・・・・だだっ広い、そんな感じ。





道央地帯の自然がすばらしい、かつまた広大・・・・・これぞ北海道、でした。





初めてさとう大根つまりテンサイつまりビートをみて感激・・・・甜菜という野菜を見たときは感動しました。これでグラニュー糖をつくるのだそうです。





8月25日の朝の気温が17度にびっくり・・・・・・・・・朝5時に入った露天風呂の気持ちよいこと!熱い湯船にそよそよと吹き寄せる冷たい朝風が顔に当たってとっても良い気持ちでした。
そしてアイヌの人々への尊敬の念・・・・・・自然と一体となって何千年も生活をしていた人々の自然への畏敬の念は大変崇高なものだと感じました。


お菓子・・・・・・えらい美味しくて、試食品を食べ過ぎました。





☆福岡空港に到着すると我が町博多はサウナでした。もう一度北海道に戻りたかったです。






☆☆これから先いろんな写真を数回にわたって載せますのでよろしく。






2010年8月22日日曜日

終わりました


昨日の夕方5時ころ塾のスタッフルームにいたところ、急に体のエネルギーがダウン。階段を上がるのも億劫に。授業を始めても滑舌が回らなくなってしまいました。6時にその授業が終わった後、残り3コマを乗り切るにはおにぎりを食べるしかない、と、爆弾おにぎりを無理矢理飲み込みました。



すると、8時前になってやっと体調回復。この授業でこの夏の夏期講習授業が全て終わる、と思うと感慨深かったです。そのせいか、倭寇の話から元寇の話へ飛び、博多湾での元軍と鎌倉武士との闘いの様子を講談調で話し始めてしまいました。


ここ糸島や博多は歴史の宝庫だということを子供たちは全く知りません。


かつて唐津の先に豊臣秀吉が朝鮮出兵のために名護屋城という、大阪城に次ぐ規模の大城を築き、そこには家康、光秀等数々の武将たちが集まったこと、そこに行こうと博多から唐津街道をあの戦国武将らが通ったこと、塾の近くの道がその道であり、400年前に歴史上の有名人たちがぞろぞろ通ったことなどを告げると、生徒たち、とくに男子生徒は『お~っ!』と歓声を上げます。


また、日露戦争の日本海海戦での砲撃音が博多まで聞こえてきたこと、元寇では13万人の元軍が3000有余の船をもって博多湾を襲ったこと、大激戦が起き、もうちょっとで我々はモンゴル語をしゃべるはめに陥るところだったことなど、おもしろおかしく話してやると、男子は食いついてきます。ただ女子はしら~っとしてます。




女子と言えば、小6の下のクラスでは、歴史の知識が足りないので出来事テスト例えば1877年に何が起きたか、というテストをやろうとすると、女の子たちテストの答えばかり憶えようとします。歴史は流れで理解するのだ、そのためにはテキストをしっかり読むことが大事だ、といくら言っても聞き耳を持ちません。ただひたすらにテストで良い点を取ることだけを目指します。


その傾向があまりヒドイので、『もう小テストは止めた』と宣言すると、女子たちは、『せっかく前の晩必死に憶えてきたのに~』と文句を言います。


仕方なくテストを実施し、交換採点をさせて得点を一人ずつ言わせようとすると、今度は点数が悪いから言わない、と抵抗します。


その後、テキストを一人5行ずつくらい大声を出させて読ませようとすると、読み方が下手なのを隠そうとしてか、まじめに読もうとしません。


『君たちは志望校に受かりたくないのか?君たちは受験生だろ?』と問い詰めると、即時の返答が無く、答えにまごつきます。本心はまだまだ受験生意識はないのです。塾は小学校の延長に過ぎないのです。


もちろん、わたしは否定しません。楽しく勉強させたいです。ですが先生の言うことを聞こうとしない独りよがりな思いこみに対してはそれを正さなければなりません。


これに対して上のクラスでは全く逆で、そりゃあもう、素直というか、わたしの言ったこと全てをそのまんま見事に吸収します。わたしの作った語呂合わせもそのまんま頭に入っています。

わずか5分の間に戦後の日本の歴史年号をほとんど憶えるのです。その数20個くらい。

スゴイですよ。


一方、下のクラスにも男子が4人います。そのうち二人は上のクラスに上がりたいと思っています。

向上心があるんです。ところが女子たちは、自分たちの志望校は久留米付設レベル以下なのだから

上のクラスと比較しないで欲しい、自分たち下のクラスは上のクラスとは別個独立でいたい、だから上のクラスと比較するようなことは言わないで欲しい、と主張します。

それで、わたしは、またしても怒りの炎がメラメラと燃え上がります。受験校のレベルの問題ではない、受かりたいと思う意欲に違いやレベルなんか無い、と言い聞かせます。

そして、下のクラスの男子たちに言います、『君たちは上のクラスで配っているプリントが欲しいか?』すると彼らは即答します『欲しい!』と。しかし彼らはなかなか良い成績が取れません。

この2つのクラスの子供たちの違いは一体どこから来るのでしょうか。

たぶん、上のクラスの子供たちは知識習得をゲーム感覚で捉えているのです。なんだか憶えることを遊びのように見ている節があります。

これに対して下のクラスの子たちは、男は歴史オタクのように深く広く知ろうとします。こちらの方が本当は勉強としては正しい態度だと思います。知りたいという欲求を充たそうと、広く深く知識を求めます。ただそれが災いしてか、テスト対策という意識は希薄になります。

つまり、テストに出ようが出まいがとにかく歴史を知りたい、という根源的欲求に基づく学習をするので、ポイントをつかむ勉強が出来にくくなり、そのためテストの点数も知識に比例して伸びるということになりません。

女の子たちはとにかく文章読解力がありません。漢字も知らないし声を出して読む力も弱いです。中には上手に読む女の子も居ます。ですが、それはただ単によどみなく読むことに集中しているだけで内容を要約して要点を押さえるという消化吸収作業が伴いません。そのため、読ませた後にその子に要点、キーワードを聞くと返事が返ってきません。


 と言う風にこの夏は小6の女子たちに振り回されました。


☆終わってみるとあっという間でした。もう1週間続けても良いかな、なんて思いもします。

 

☆明日から3泊で北海道に行ってきます。知床や富良野なんかを見てきます。

たっぷり写真を撮ってきます。