倒産法の集中講義の二日目、3コマ連続でありました。
今日は履修登録している学生名簿にしたがって当てていきました、が、その名簿がメチャクチャな並びで、なのに違うクラスから当てているのだろうと勝手に考えてたので油断してた所に突如わたしの名前が出たもんで、一瞬のうちにアタマが真っ白になり、しどろもどろになってしまいました。
しかも当たった箇所の問題でわたしが予習してたときに書き込んだ図が間違っていたので余計に混乱してしまいました。
後で考えたらなんてことない簡単な問題だったのに~。
クラスには聴講、いわゆるモグリの学生も多く、彼らは名簿に載っていませんから気楽く~に授業を聞けます。ですがわたしたち登録者は30人くらいで、どんどん当てられていくので、結局わたしは3回も当たりました。
1回目は先ほど述べた、ボロボロ状態。くやしくて、次は何としても、といきり立ってたところ、2回目、3回目はえらく簡単な問題で肩透かし。
驚いたのは未修のクラスの学生達が良くできることです。彼らとは去年同時に入学し、彼らはローで3年間学び、私たち既修は2年で卒業します。
ですから、私たち既修組は来年卒業して司法試験を受けます、未修のクラスの学生達は再来年卒業です。
なのに彼らの倒産法の実力はスゴイです。わたしよりも分かっています。
負けてるなあ、と猛烈に反省しました。
この倒産法の先生は水元さんといって熊大から集中講義に来られています。
とても優秀です。極めて頭が良いです。分かりやすいし論理的です。
ただ、テキストが難しいので大変苦労します。
夏休みに集中して一つの科目にヒーヒー言いながらまさしく集中するのって、実力アップには最適です。
むかし、我妻栄という民法の大家と岸信介元首相が、東大学生時代、熱海かどっかの旅館で夏の勉強合宿をしたというのを聞いたことがあります。
二人とも高等文官試験(いまの国家公務員上級試験)を受けて岸が1番、我妻さんが2番だったんじゃないでしょうか、記憶が薄れてますので間違ってるかも。
とにかく、今猛烈にしんどいですが、これくらいやらないと物にならない、と思います、いや、まだまだ足りないです。なにせ司法試験科目7科目の中の1つなんですから、得意科目にするなんておいそれとはできません。
あと、行政法と民事執行法も。
でも、翻ってよく考えてみると勉強できるって幸せなことだなあ、と我が身の境遇に感謝感謝です。
この歳になっても勉強できるんですからわたしはある意味、幸せですね。
とりあえず明日まで半徹夜で頑張ります。
明日から天気が崩れ、4~5日雨模様らしいです。蒸し暑さが戻ってきました。倒産法の教室はクーラーが半分故障していて汗びっしょりでした。
2009年8月27日木曜日
2009年8月26日水曜日
猛烈に大変
水元先生の倒産法集中講義、厳しいです。
理由1 内容が高度で基礎的な事は全部パスして応用ばかり
理由2 どんどん当てていくのと、テキスト順ではないので予測が付かない
理由3 他の学生はほとんど全員すごく予習してきているのでちゃんとやらな
いと恥をかく
理由4 進み方が早いので予習が追いつかない
というわけで、今日明日はちょっとヤバイです。寝る時間がないかもしれません。
素晴らしい天気です。空が真っ青。夕暮れも美しい、月も日に日に太ってきます。
※情報通の学生によると民事法で追試決定者が出たそうです。やっぱ、怖ろしい科目だったんですよ。
追試の事を思うと、倒産法の予習でヒーヒー言ってるのもカワイイもんだなー、と思いました。
2009年8月25日火曜日
空気が澄んで気持ちが良い昼と肌寒い夜
朝4時過ぎに寝て9時に目覚め、10時半にローに。
バイクで街を走るとすがすがしい空気が体をかすめ、空も雲もくっきり鮮やかに光り輝いていました。
清浄と表現しても良いほど澄んでいました。都会の真ん中ではほとんど感じることが出来ない爽やかさでした。阿蘇久住の高原にいるようでした。
もちろん、民事法がセーフだったこともあります。ほんとに辛かったですから、この2週間は。
そうそう、ローに着くとみんな民事法のことで持ちきり。みんな口を揃えて、良かった~っ!と言ってました。まじめな話、クラス全員と言っていいほど追試対策をしていたようです。それくらいクラス中が震え上がっていたんです。
夕方ローを出たとき、段々日の入りが早くなってくるのを感じました。秋は直ぐそこに来ているようです。
気温もグングン下がって、半袖でバイクに乗ると肌寒さを憶えます。
夜も窓を閉めて寝ています。逆に、お風呂が気持ち良くなってきましたねえ。
明日から水元先生の倒産法集中講義が3日間。こっちは前編で、9月中旬にまた3日間、後編があります。
はやいとこ倒産法をマスターしないと、本番に間に合わなくなってしまいそうです。
この前手に入れた倒産法のレジメPDF、なんとかしてワードに変換できないかと思ってた所、そうやん!去年買った『読み取り革命』というソフトで出来るじゃないか、とやってみたところ、99パーセントの読み取り率で、メチャクチャ助かりました。
OCRという、画像データを文字データに変換できると、自分がワープロ文書を作成したのと同じになり、好き勝手に編集できるようになるのです。
そうなると、ノートのレイアウトが自由に出来るようになり、ノートが格段に見やすくなります。
一見して直ぐ分かるノート、これが重要なんです。どこに何が書いてあるかが直ぐ分かるか否かは勉強の死命を決します。
本番用に自分ノートを作っておかないと直前で失速してしまいます。
それをするのは今しかありません。
せめて倒産法と行政法だけは作っておかないと、とかなり真剣にやっとります。
ただ、視力減退のため、活字を大きくせざるを得ません。若者達は小さい活字でも平然と読んでいます。もの凄くうらやましいです。
※ユーチューブに動画投稿をやってみたところ、成功しました。
一度覗いてみてください。このブログの動画を大画面でみることができるというわけです。題名は『トトロが降りてきてたんぼ道』です。
ありがとうございました!!!
ただいま明け方4時です。倒産法の予習に追われ、気が付いたらこんな時間に。
で、寝酒の発泡酒を呷りつつスルメを噛んで、さあ、いつもの儀式をやってから寝るか、と、成績照会欄を開けてみました。
さっき、と言っても夜中の1時に一度開いて見たのですが、相も変わらず民事法の欄は空欄でした。
で、まさか夜中に成績がアップされるはずはないけど、一応いつもの儀式だから、と全く無防備に開いたところ、なんとまぁ!民事法総合の成績欄に
『可』とあるじゃあないですか!全身脱力しました。フェ~って。安堵というのはこういう物だったんだなあ、と、あったかいマユに包まれたような気がしました。
こんなに嬉しい可はかつてないです。
もうほんとに危機一髪でした。民訴も会社も出来が悪すぎてとても点をもらえそうになかったんです。かすかな望みは民法のみでした。
心の底から留年の二文字が我が身に降りかかってくるのを実感しました。
皆さんはなんでこんなにわたしが怯えているのかご存じないことと思います。
去年、民事法総合では20人近く追試になり、5人か6人かは留年させられたのです。民事系の教官は、噂によると予め留年させる人数を決めているそうで、落とし方は完全に機械的に決めるのだそうです。
だもんで昨日ローで出会った学生達のほとんどが暗い顔つきだったんです。 女性の実力者ですらため息をついてうなだれていたほどです。
大虐殺の犠牲者に誰がなってもおかしくなかったんです。
しかも、これが重要なんですが、ローの学者教官の採点についてわたしは全く信用していません。主観的な採点としか思えない点数の付け方で、本番の司法試験のような客観的な採点ではないんです。
へたくそなアンパイアのようなもんです。ボールだと確信してたのにストライクと言われて三振アウト、と宣告される恐怖、しかもそのバッターボックスが9回裏ツーアウト満塁、1点差で負けている試合なんです。
そういう怖ろしさもあって、今回の民事法総合はマジにマジに怖ろしくて仕方がありませんでした。
いや~~、本当に良かったです。朝4時まで起きてた甲斐がありました。
感謝!これで思いっきり倒産法が出来ます。うれしーですっ!
で、寝酒の発泡酒を呷りつつスルメを噛んで、さあ、いつもの儀式をやってから寝るか、と、成績照会欄を開けてみました。
さっき、と言っても夜中の1時に一度開いて見たのですが、相も変わらず民事法の欄は空欄でした。
で、まさか夜中に成績がアップされるはずはないけど、一応いつもの儀式だから、と全く無防備に開いたところ、なんとまぁ!民事法総合の成績欄に
『可』とあるじゃあないですか!全身脱力しました。フェ~って。安堵というのはこういう物だったんだなあ、と、あったかいマユに包まれたような気がしました。
こんなに嬉しい可はかつてないです。
もうほんとに危機一髪でした。民訴も会社も出来が悪すぎてとても点をもらえそうになかったんです。かすかな望みは民法のみでした。
心の底から留年の二文字が我が身に降りかかってくるのを実感しました。
皆さんはなんでこんなにわたしが怯えているのかご存じないことと思います。
去年、民事法総合では20人近く追試になり、5人か6人かは留年させられたのです。民事系の教官は、噂によると予め留年させる人数を決めているそうで、落とし方は完全に機械的に決めるのだそうです。
だもんで昨日ローで出会った学生達のほとんどが暗い顔つきだったんです。 女性の実力者ですらため息をついてうなだれていたほどです。
大虐殺の犠牲者に誰がなってもおかしくなかったんです。
しかも、これが重要なんですが、ローの学者教官の採点についてわたしは全く信用していません。主観的な採点としか思えない点数の付け方で、本番の司法試験のような客観的な採点ではないんです。
へたくそなアンパイアのようなもんです。ボールだと確信してたのにストライクと言われて三振アウト、と宣告される恐怖、しかもそのバッターボックスが9回裏ツーアウト満塁、1点差で負けている試合なんです。
そういう怖ろしさもあって、今回の民事法総合はマジにマジに怖ろしくて仕方がありませんでした。
いや~~、本当に良かったです。朝4時まで起きてた甲斐がありました。
感謝!これで思いっきり倒産法が出来ます。うれしーですっ!
2009年8月24日月曜日
憲法9条を守る?
共産党の宣伝カーから聞こえてきました。いつも思ってるんですが、このキャッチコピーは出来が悪いと思います。というより腹が立ちます。
昔、社民党のHPに投書したことがありました。
憲法は守るものではなく、実現させるものではないか、紙に書いてある文字はただの文字でしかなく、書いただけでは何もならない。人間がその中身を実現させて初めて価値があるのだ、なのに現在我が国は憲法の理念を実現したとは到底言い難い、だから、キャッチコピーとしては、憲法を実現させよう、と言うべきではないのか、と。
返事が来ました。ご意見参考にさせていただきます、とだけ。
あ~あ、でした。
憲法9条は世界史的に見て大変重要な条文です。コスタリカと日本だけです、戦争を放棄している国は。コスタリカには軍隊もありません。
あの国はジュラシックパークで有名ですが戦争放棄国として紹介すべきです。
今日、ローでクラスの学生数人と話をしたところ、みんな?民訴の判例百選を読んでいるんだそうです。つまり、民事法の試験結果で不可を点けられた時に備えているんです。かなりの人間がビクついています。もちろんわたしもその一人です。
しかもいろんな噂が飛び交っています。何人落とすとか、民訴はみんな出来が悪くて点数が付けられなかったとか、民法の採点担当の教官がどこにいるか不明だとか、、、。
わたしの推論はこうです。追試者はかなり出す、25人くらいかもっと。それで、最終的には白紙答案以外は単位をやる、つまり、びびらせるだけ。
なんでかというと、前期で既に留年決定を下すと、留年が決まった学生のモチベーションは最低に下がります。来年卒業できず、司法試験も受けられないことがはや9月の段階で決定されてしまうなんて、不利益具合が大きすぎます。
彼は(彼女は、もしくは、わたしは)あと1年半待たなければならないのです。
逆に、追試で脅かしておいて結局単位をやる、ということにすれば、みんな恐怖と安堵、そして、8ヶ月後に迫った本試験を疑似体験して大いに勉強に励むことになる、と思います。
わたしが院長だったらそのような対応をしますがねー。
倒産法の強力なノートが手に入り、有り難くて土下座して感謝したいくらいです。
骨組みは大分アタマに浮かんできました。ただ、細かい所はまだまだです。
明後日から始まる倒産法の集中講義について、今日卒業生から話を聞いたところ、先生は結構細かくかつ論理のスジを聞いてくるそうです。
本来ならきっちり予習して受けていたはずなのに、民事法の結果待ちの恐怖でアタマが痺れて固まってしまい、予習が進みません。
恐怖の板挟みになろうとは予想だにしませんでした。お化け屋敷どころではありません、この見も凍る恐怖は。
凍ると言えば、昨夜は寒いと思ったほどです。風が冷たすぎて窓を閉めて寝ました。8月なのに、オカシイです。
きょうも、夕方はとっても涼しかったです。お月様がきれいでした。
一番上の写真は、西新の40年以上やってる店、昭和のフォーク世代にとっての青春がこびりついています。
2009年8月23日日曜日
民事法未だ出ず
待ちくたびれてしまいました。他の科目はほとんど発表されています。残るは民事法と、歴史と法、模擬裁判、の3つだけ。あと、刑事弁護論という通年の科目も出ていません。
そうこうしているうちに来週水曜から倒産法の集中講義が始まります。予習しなければなりません。こりゃ大変だ。
今日は電気掃除機を買いに女房について行きました。ビックカメラに目当ての掃除機が他より安く売ってるというので昼前二人で行きました。
はじめは順調でした。予定通り、シャープのサイクロン掃除機(定価42000円!の20パーセントポイント還元)を買い、レジで精算していたら、トラブル発生。
女房が使うと決めて貯めておいたビックカメラのポイント、2万2千点分が期限切れで消えているというのです。
つまり2万2千円相当の値引きが受けられなくなったのです。
ポイントは最後に買い物をした日から2年間何も買わなかったら自動的に消えるのです、そういう約款があるんでしょう。
怒った女房の言い分はこうです。自分は3年くらい前に時計をビックカメラで買い、ポイントが2万2千ポイントたまっている。その後、ビックカメラから、2年が経つ直前にはがきが来た、もうすぐ2年が来ますよ、ポイントが消えますよ、と。
それでポイントが消えないようにビックカメラに出向いて安い商品を買い、ポイントを継続させた、その際ビックカメラの店員さんに、この次も2年が経つ前にお知らせの葉書がくるのか、と尋ねた。そしたらその店員さんは、ええ、送ります、と答えた、と。
なのにその後ポイントが消える警告葉書が来なかったのでてっきり未だ2年経っていないものと思って今日やってきたのだ、と。
そうしたら、応対した若い男性店員(新入社員みたいでした)は何度も店のコンピュータに照合したりして、結果的に消えたポイントは復元できないので仕方ない、という返答を繰り返すばかり。
その若い男性店員は応対の仕方そのものはソフトで感じよかったのですが、返事の中身は、無理無理を繰り返すばかり。女房もしびれを切らして店長を呼べ、と主張。
すると今度は頑固で強情で無慈悲な女性店員(彼女も結構若い)がやってきて、文字通りけんもほろろ。とにかく消えたポイントはどうしようもない、お客さんの要求は聞けない、と。
そこで、わたしが、自分たちはビックカメラの店員さんの言うことを信じて行動してきた、ポイントの期限が切れる間際にはお知らせ葉書を出す、と言うから、葉書が来ないんでまだ大丈夫だろうと思っていた、そういう風に信じたことに何か手落ちはありますか?と。また、出すと行っておきながら出さなかった店員さんはビックカメラの店員さんであって、ビックカメラさんの手落ちではないんですか、と。
帰ってきた返事は、確かにその通りです、ですが仕方ない、と。
で、わたしは次に、こちらは単純に、消えたポイントを元通りに戻してもらえばそれで済むのだ、だから電算センターに連絡してデータを復元してもらえさえすれば十分である、と言いました。
すると女性店員は、それは出来ない、無理だ、と言うのです。で、わたしは、いいや、無理ではない、すぐ出来る、簡単な話だ、と言いかけると、こちらの言うことを遮って彼女は無表情に、無理です、と言い返すのです。
だから、わたしも、あんたは勝手に無理だ無理だとばかり言っているが、無理なことは一つもないんだって!と言い返しました。
女性店員は頑としてわたしの言うことを聞かずに、自分の主張を言い張るばかりでした。
でも失態を演じたのはそちらでしょ?ビックカメラさんの言うことを信じたこちらにも何かまずいところがあったのですか?2年経ったかどうか自分で調べないといけないんですか?たしかに他の、例えばヨドバシカメラなんかはポイントが2年で消えるとき、なにも警告の葉書や連絡を寄越しません。でもこちらもまた、その店のやり方はそうなんだと分かっていますから、2年経ってヨドバシカメラのポイントが消えても、ああ仕方ないなあ、馬鹿なことをしたなあ、とあきらめることができます。
でも、ビックカメラは当時、お知らせ葉書制度を採用していたんです。その事実は店員も認めています。ビックカメラが後に一方的に何の連絡もなく廃止しただけです。
ですから、堅いことを言うなら、ビックカメラさんは信義則に則った行動を取るべきです。自らの行為で相手を信用させてしまった以上はその相手がそれに基づいた行動を取った場合、その行動に対して責任を負うのが信義にかなう、ということです。
で、はじめに応対した若い男性店員と、次にやってきた強情な女性店員だけでは埒があかないので、店長を呼んできてくれ、とこちらは要求しました。
すると、すぐに副店長という男性がやってきました。
その副店長はこちらに来るなり、間髪を入れずに、まことに申し訳ありません、とお詫びの言葉を発しました。
ホォー!こいつは出来る!と感心しました。
わたしは頑固な女性店員の顔を睨みつけながらこう言いました『一等最初にその言葉を言ってくれたら良かったのに』と。
その副店長は平謝りしてくれました。ただ、消えたポイントは復元できない、その代わりに2万2千点のポイント分はこちらの責任でなんとかします、と言いました。女房はまだ怒りが納まらず、口だけじゃ安心できないから一筆書いてくれ、と要求、副店長は、なんの躊躇もなく、はい分かりました、書きます、と。
結局、女房の消えたポイントは、一つの商品について一気に用いることは出来ず、何遍かに分けて少しずつ使う事しかできないことになり、かなり不便になりましたが、最終的には全部利用し終える事は出来ることになり、負けはしなかったが勝ちもしなかった、ということになりました。
副店長の誠意ある対応がなければ今頃はビックカメラ本店にクレームを言い続けてたところです。
それにしても女性店員のふざけた態度には今も怒りが納まりません。怒りの原因は、彼女にわびる気持ちがこれっぽっちもないのが見え見えだったことです。しつこい客だ、と思っているのが透けて見えたんです。
こんなイヤな気分にさせられた以上、以後ビックカメラの5階に行くことはないです。
女房が後で言いました、自分一人で行ってたら確実に言い負けしてポイントを見殺しにするところだった、と。
お陰でその後ローに行っても疲れて爆睡してしまいました。
そうこうしているうちに来週水曜から倒産法の集中講義が始まります。予習しなければなりません。こりゃ大変だ。
今日は電気掃除機を買いに女房について行きました。ビックカメラに目当ての掃除機が他より安く売ってるというので昼前二人で行きました。
はじめは順調でした。予定通り、シャープのサイクロン掃除機(定価42000円!の20パーセントポイント還元)を買い、レジで精算していたら、トラブル発生。
女房が使うと決めて貯めておいたビックカメラのポイント、2万2千点分が期限切れで消えているというのです。
つまり2万2千円相当の値引きが受けられなくなったのです。
ポイントは最後に買い物をした日から2年間何も買わなかったら自動的に消えるのです、そういう約款があるんでしょう。
怒った女房の言い分はこうです。自分は3年くらい前に時計をビックカメラで買い、ポイントが2万2千ポイントたまっている。その後、ビックカメラから、2年が経つ直前にはがきが来た、もうすぐ2年が来ますよ、ポイントが消えますよ、と。
それでポイントが消えないようにビックカメラに出向いて安い商品を買い、ポイントを継続させた、その際ビックカメラの店員さんに、この次も2年が経つ前にお知らせの葉書がくるのか、と尋ねた。そしたらその店員さんは、ええ、送ります、と答えた、と。
なのにその後ポイントが消える警告葉書が来なかったのでてっきり未だ2年経っていないものと思って今日やってきたのだ、と。
そうしたら、応対した若い男性店員(新入社員みたいでした)は何度も店のコンピュータに照合したりして、結果的に消えたポイントは復元できないので仕方ない、という返答を繰り返すばかり。
その若い男性店員は応対の仕方そのものはソフトで感じよかったのですが、返事の中身は、無理無理を繰り返すばかり。女房もしびれを切らして店長を呼べ、と主張。
すると今度は頑固で強情で無慈悲な女性店員(彼女も結構若い)がやってきて、文字通りけんもほろろ。とにかく消えたポイントはどうしようもない、お客さんの要求は聞けない、と。
そこで、わたしが、自分たちはビックカメラの店員さんの言うことを信じて行動してきた、ポイントの期限が切れる間際にはお知らせ葉書を出す、と言うから、葉書が来ないんでまだ大丈夫だろうと思っていた、そういう風に信じたことに何か手落ちはありますか?と。また、出すと行っておきながら出さなかった店員さんはビックカメラの店員さんであって、ビックカメラさんの手落ちではないんですか、と。
帰ってきた返事は、確かにその通りです、ですが仕方ない、と。
で、わたしは次に、こちらは単純に、消えたポイントを元通りに戻してもらえばそれで済むのだ、だから電算センターに連絡してデータを復元してもらえさえすれば十分である、と言いました。
すると女性店員は、それは出来ない、無理だ、と言うのです。で、わたしは、いいや、無理ではない、すぐ出来る、簡単な話だ、と言いかけると、こちらの言うことを遮って彼女は無表情に、無理です、と言い返すのです。
だから、わたしも、あんたは勝手に無理だ無理だとばかり言っているが、無理なことは一つもないんだって!と言い返しました。
女性店員は頑としてわたしの言うことを聞かずに、自分の主張を言い張るばかりでした。
でも失態を演じたのはそちらでしょ?ビックカメラさんの言うことを信じたこちらにも何かまずいところがあったのですか?2年経ったかどうか自分で調べないといけないんですか?たしかに他の、例えばヨドバシカメラなんかはポイントが2年で消えるとき、なにも警告の葉書や連絡を寄越しません。でもこちらもまた、その店のやり方はそうなんだと分かっていますから、2年経ってヨドバシカメラのポイントが消えても、ああ仕方ないなあ、馬鹿なことをしたなあ、とあきらめることができます。
でも、ビックカメラは当時、お知らせ葉書制度を採用していたんです。その事実は店員も認めています。ビックカメラが後に一方的に何の連絡もなく廃止しただけです。
ですから、堅いことを言うなら、ビックカメラさんは信義則に則った行動を取るべきです。自らの行為で相手を信用させてしまった以上はその相手がそれに基づいた行動を取った場合、その行動に対して責任を負うのが信義にかなう、ということです。
で、はじめに応対した若い男性店員と、次にやってきた強情な女性店員だけでは埒があかないので、店長を呼んできてくれ、とこちらは要求しました。
すると、すぐに副店長という男性がやってきました。
その副店長はこちらに来るなり、間髪を入れずに、まことに申し訳ありません、とお詫びの言葉を発しました。
ホォー!こいつは出来る!と感心しました。
わたしは頑固な女性店員の顔を睨みつけながらこう言いました『一等最初にその言葉を言ってくれたら良かったのに』と。
その副店長は平謝りしてくれました。ただ、消えたポイントは復元できない、その代わりに2万2千点のポイント分はこちらの責任でなんとかします、と言いました。女房はまだ怒りが納まらず、口だけじゃ安心できないから一筆書いてくれ、と要求、副店長は、なんの躊躇もなく、はい分かりました、書きます、と。
結局、女房の消えたポイントは、一つの商品について一気に用いることは出来ず、何遍かに分けて少しずつ使う事しかできないことになり、かなり不便になりましたが、最終的には全部利用し終える事は出来ることになり、負けはしなかったが勝ちもしなかった、ということになりました。
副店長の誠意ある対応がなければ今頃はビックカメラ本店にクレームを言い続けてたところです。
それにしても女性店員のふざけた態度には今も怒りが納まりません。怒りの原因は、彼女にわびる気持ちがこれっぽっちもないのが見え見えだったことです。しつこい客だ、と思っているのが透けて見えたんです。
こんなイヤな気分にさせられた以上、以後ビックカメラの5階に行くことはないです。
女房が後で言いました、自分一人で行ってたら確実に言い負けしてポイントを見殺しにするところだった、と。
お陰でその後ローに行っても疲れて爆睡してしまいました。
2009年8月21日金曜日
国旗騒動
麻生総理と産経新聞が民主党霧島支部の国旗裁断行為をねちっこく非難しております。
日の丸を2本使ってそれぞれ半分近くに切って縫い合わせると民主党の旗が出来るので、霧島支部がその通りに作って小沢一郎の講演会の壇上に飾ったという事件です。
みなさんはどう思いますか?
国旗を『切り刻んだ(麻生さんの表現です)』行為は国旗に対する不敬な行為であり許し難いことでしょうか。
それとも、それくらいどーってことないじゃん、でしょうか。
わたしが思うに、これは国旗とはなんぞや、という面白い問題であると考えます。
国旗ってなんですか?言い換えると、白地に赤い丸を描いたデザインは全て国旗になるんでしょうか。
たとえば商店のシャッターを真っ白に塗って真ん中に赤い丸を描いたら国旗になりますか。日の丸弁当は国旗ですか。幼稚園児が画用紙の真ん中に赤い丸を描いたら国旗になるんですか。 お祭りやパーティーで万国旗を天井なんかにずらずらーっと飾りますが、あの一つ一つはみんな国旗として使われているのでしょうか。それともただの飾りとして使っているのでしょうか。
人がそのデザインを国旗として使うときに初めてそのデザインは国旗になるのだと思います。
ですから霧島市の民主党支援者は普段は国旗として使っていた布だけどもデザインが似ていて民主党旗を作るのに便利だからそのデザインの布を使ったのであって、国旗、を裁断しようというつもりは無かったと思います。
ただ、当の本人はそう言う思いしかなかったとしても、周りの人間の中には2枚の布がもともと国旗として使われていたものだからその布は裁断の時も依然国旗だった、だから国旗を切った、と見てしまったわけです。
このように、あるデザインが描かれた物体に国旗という意味を充填させるか否かはひとえにそれを使う人間の心理状態に掛かっていると言えると思います。
ですから、サッカーワールドカップで自分のほっぺたに日の丸をペイントするときは、自分のほっぺに描いたデザインは国旗である、との意味が本人によって、また周囲の人間によっても充填されたといえます。
ですが、逆に、例えば国旗の白地が長い間盆正月祭日に外に立てられてきたせいでくすんできたとして、新しい国旗を購入し、くすんできた古いやつをリサイクルして裁断して服地にしたり風呂敷にしたり雑巾にしたとしたら、もはやその古い布地から国旗としての意味充填が外されて元の布きれに戻ったわけです。ですから切り刻んでもなにをしても構わないんです。 霧島の民主党員はそういう感覚で切ったのだと思います。
このように、国旗騒動の第一の問題は、それが国旗としての意味を充填されたまま裁断されたのかどうか、という事実判断の問題だと思います。
そして第二に、では仮に国旗として裁断したとした場合、はたしてそれはいけないことなのか、です。
自民党と産経新聞はこのレベルで民主党を攻撃しております。
国旗に対する不敬行為である、と。
実を言うと、わたしはあっけにとられています。麻生さん達は本気で言ってるのかしら、と。気が狂ったのではないか、と心配になりました。
極端に言うと、国旗を焼こうが切ろうが本人の勝手なんです。自由なんです。
自由で良いんです。たしかに眉をひそめる行為です。国民の誇りを傷つける行為です。道義的には許せません。わたしだって怒ります。
でも、自由なんです。言い換えると麻生さん達は怒りのレベルがずれているのです。
例えばですよ、昔立ち小便をさせないように塀に小さな赤い鳥居が打ち付けてありましたでしょ。鳥居に小便をひっかけたら罰が当たる、という信心を利用して。
★厳密には鳥居に似てはいるが違うものらしいです。鳥居の二本の横棒の長さのうち下の方を長くしてたそうです。上が長いと鳥居ですが、下が長いと鳥居ではないんだそうです。★
あれと同じです、というかあれ以下の低レベルの問題なんです。
つまり、鳥居におしっこをかけるのと国旗を切ることとは両方とも言わば道徳的次元の問題にすぎません。オマケに霧島市の民主党員は自分の所有する国旗を切っただけです。公道でおしっこしたら軽犯罪法違反ですが、自分の国旗を切っても何の犯罪にもなりません。
要するに下らないことで大騒ぎしているんです。麻生氏と産経新聞は。
鳥居におしっこをかけるヤツは許せん、とスピーカでわめいたり新聞でくどくど書いているのと変わりません。
それどころか、皆さん、実は麻生さんらは怖ろしいことを言っているのですよ。国旗をかつての天皇陛下の御真影みたいに扱おうとしているのです。
人間よりも御真影の方が価値が高いのだ、という極めて危ない思想の匂いがするのです。
国旗というのはあくまでも象徴、シンボルにすぎません。ハトはハトなんです。ハトを食べたら平和に反対する悪者になりますか?
なるわけないじゃないですか。所詮シンボルというのはたとえにすぎないんですから。ハトが平和よりも大事になる世界っておかしいでしょ?
それと同じで日の丸は日本人が暮らす社会である日本国のシンボルにすぎず、大事なのは日本人と日本人が共同生活している日本という社会それ自身なんです。
麻生さん達はそれがひっくり返っているんです。
繰り返しますが、わたしも日の丸を汚したり踏んづけたり焼いたりするヤツは許せません。が、それは個人のレベルでの愛国心の問題であって、あくまで個人的問題にとどめるべきです。この問題に国家が介入して良かった試しは一度もありません。
アメリカでもベトナム反戦運動で兵役忌避者がアメリカ国旗を燃やして国旗侮辱罪を問われたとき、連邦最高裁判所は、かかる国旗焼却行為はアメリカ憲法で保障された表現の自由である、と宣言しました。
日本の刑法でも外国の国旗を、侮辱目的で毀損したら処罰されますが、日の丸を毀損しても処罰はされません。
ということで、最近の国旗騒動は我が国のファッショ度を計る良い機会だと思いながら眺めています。
日の丸を2本使ってそれぞれ半分近くに切って縫い合わせると民主党の旗が出来るので、霧島支部がその通りに作って小沢一郎の講演会の壇上に飾ったという事件です。
みなさんはどう思いますか?
国旗を『切り刻んだ(麻生さんの表現です)』行為は国旗に対する不敬な行為であり許し難いことでしょうか。
それとも、それくらいどーってことないじゃん、でしょうか。
わたしが思うに、これは国旗とはなんぞや、という面白い問題であると考えます。
国旗ってなんですか?言い換えると、白地に赤い丸を描いたデザインは全て国旗になるんでしょうか。
たとえば商店のシャッターを真っ白に塗って真ん中に赤い丸を描いたら国旗になりますか。日の丸弁当は国旗ですか。幼稚園児が画用紙の真ん中に赤い丸を描いたら国旗になるんですか。 お祭りやパーティーで万国旗を天井なんかにずらずらーっと飾りますが、あの一つ一つはみんな国旗として使われているのでしょうか。それともただの飾りとして使っているのでしょうか。
人がそのデザインを国旗として使うときに初めてそのデザインは国旗になるのだと思います。
ですから霧島市の民主党支援者は普段は国旗として使っていた布だけどもデザインが似ていて民主党旗を作るのに便利だからそのデザインの布を使ったのであって、国旗、を裁断しようというつもりは無かったと思います。
ただ、当の本人はそう言う思いしかなかったとしても、周りの人間の中には2枚の布がもともと国旗として使われていたものだからその布は裁断の時も依然国旗だった、だから国旗を切った、と見てしまったわけです。
このように、あるデザインが描かれた物体に国旗という意味を充填させるか否かはひとえにそれを使う人間の心理状態に掛かっていると言えると思います。
ですから、サッカーワールドカップで自分のほっぺたに日の丸をペイントするときは、自分のほっぺに描いたデザインは国旗である、との意味が本人によって、また周囲の人間によっても充填されたといえます。
ですが、逆に、例えば国旗の白地が長い間盆正月祭日に外に立てられてきたせいでくすんできたとして、新しい国旗を購入し、くすんできた古いやつをリサイクルして裁断して服地にしたり風呂敷にしたり雑巾にしたとしたら、もはやその古い布地から国旗としての意味充填が外されて元の布きれに戻ったわけです。ですから切り刻んでもなにをしても構わないんです。 霧島の民主党員はそういう感覚で切ったのだと思います。
このように、国旗騒動の第一の問題は、それが国旗としての意味を充填されたまま裁断されたのかどうか、という事実判断の問題だと思います。
そして第二に、では仮に国旗として裁断したとした場合、はたしてそれはいけないことなのか、です。
自民党と産経新聞はこのレベルで民主党を攻撃しております。
国旗に対する不敬行為である、と。
実を言うと、わたしはあっけにとられています。麻生さん達は本気で言ってるのかしら、と。気が狂ったのではないか、と心配になりました。
極端に言うと、国旗を焼こうが切ろうが本人の勝手なんです。自由なんです。
自由で良いんです。たしかに眉をひそめる行為です。国民の誇りを傷つける行為です。道義的には許せません。わたしだって怒ります。
でも、自由なんです。言い換えると麻生さん達は怒りのレベルがずれているのです。
例えばですよ、昔立ち小便をさせないように塀に小さな赤い鳥居が打ち付けてありましたでしょ。鳥居に小便をひっかけたら罰が当たる、という信心を利用して。
★厳密には鳥居に似てはいるが違うものらしいです。鳥居の二本の横棒の長さのうち下の方を長くしてたそうです。上が長いと鳥居ですが、下が長いと鳥居ではないんだそうです。★
あれと同じです、というかあれ以下の低レベルの問題なんです。
つまり、鳥居におしっこをかけるのと国旗を切ることとは両方とも言わば道徳的次元の問題にすぎません。オマケに霧島市の民主党員は自分の所有する国旗を切っただけです。公道でおしっこしたら軽犯罪法違反ですが、自分の国旗を切っても何の犯罪にもなりません。
要するに下らないことで大騒ぎしているんです。麻生氏と産経新聞は。
鳥居におしっこをかけるヤツは許せん、とスピーカでわめいたり新聞でくどくど書いているのと変わりません。
それどころか、皆さん、実は麻生さんらは怖ろしいことを言っているのですよ。国旗をかつての天皇陛下の御真影みたいに扱おうとしているのです。
人間よりも御真影の方が価値が高いのだ、という極めて危ない思想の匂いがするのです。
国旗というのはあくまでも象徴、シンボルにすぎません。ハトはハトなんです。ハトを食べたら平和に反対する悪者になりますか?
なるわけないじゃないですか。所詮シンボルというのはたとえにすぎないんですから。ハトが平和よりも大事になる世界っておかしいでしょ?
それと同じで日の丸は日本人が暮らす社会である日本国のシンボルにすぎず、大事なのは日本人と日本人が共同生活している日本という社会それ自身なんです。
麻生さん達はそれがひっくり返っているんです。
繰り返しますが、わたしも日の丸を汚したり踏んづけたり焼いたりするヤツは許せません。が、それは個人のレベルでの愛国心の問題であって、あくまで個人的問題にとどめるべきです。この問題に国家が介入して良かった試しは一度もありません。
アメリカでもベトナム反戦運動で兵役忌避者がアメリカ国旗を燃やして国旗侮辱罪を問われたとき、連邦最高裁判所は、かかる国旗焼却行為はアメリカ憲法で保障された表現の自由である、と宣言しました。
日本の刑法でも外国の国旗を、侮辱目的で毀損したら処罰されますが、日の丸を毀損しても処罰はされません。
ということで、最近の国旗騒動は我が国のファッショ度を計る良い機会だと思いながら眺めています。
登録:
投稿 (Atom)