2010年8月22日日曜日

終わりました


昨日の夕方5時ころ塾のスタッフルームにいたところ、急に体のエネルギーがダウン。階段を上がるのも億劫に。授業を始めても滑舌が回らなくなってしまいました。6時にその授業が終わった後、残り3コマを乗り切るにはおにぎりを食べるしかない、と、爆弾おにぎりを無理矢理飲み込みました。



すると、8時前になってやっと体調回復。この授業でこの夏の夏期講習授業が全て終わる、と思うと感慨深かったです。そのせいか、倭寇の話から元寇の話へ飛び、博多湾での元軍と鎌倉武士との闘いの様子を講談調で話し始めてしまいました。


ここ糸島や博多は歴史の宝庫だということを子供たちは全く知りません。


かつて唐津の先に豊臣秀吉が朝鮮出兵のために名護屋城という、大阪城に次ぐ規模の大城を築き、そこには家康、光秀等数々の武将たちが集まったこと、そこに行こうと博多から唐津街道をあの戦国武将らが通ったこと、塾の近くの道がその道であり、400年前に歴史上の有名人たちがぞろぞろ通ったことなどを告げると、生徒たち、とくに男子生徒は『お~っ!』と歓声を上げます。


また、日露戦争の日本海海戦での砲撃音が博多まで聞こえてきたこと、元寇では13万人の元軍が3000有余の船をもって博多湾を襲ったこと、大激戦が起き、もうちょっとで我々はモンゴル語をしゃべるはめに陥るところだったことなど、おもしろおかしく話してやると、男子は食いついてきます。ただ女子はしら~っとしてます。




女子と言えば、小6の下のクラスでは、歴史の知識が足りないので出来事テスト例えば1877年に何が起きたか、というテストをやろうとすると、女の子たちテストの答えばかり憶えようとします。歴史は流れで理解するのだ、そのためにはテキストをしっかり読むことが大事だ、といくら言っても聞き耳を持ちません。ただひたすらにテストで良い点を取ることだけを目指します。


その傾向があまりヒドイので、『もう小テストは止めた』と宣言すると、女子たちは、『せっかく前の晩必死に憶えてきたのに~』と文句を言います。


仕方なくテストを実施し、交換採点をさせて得点を一人ずつ言わせようとすると、今度は点数が悪いから言わない、と抵抗します。


その後、テキストを一人5行ずつくらい大声を出させて読ませようとすると、読み方が下手なのを隠そうとしてか、まじめに読もうとしません。


『君たちは志望校に受かりたくないのか?君たちは受験生だろ?』と問い詰めると、即時の返答が無く、答えにまごつきます。本心はまだまだ受験生意識はないのです。塾は小学校の延長に過ぎないのです。


もちろん、わたしは否定しません。楽しく勉強させたいです。ですが先生の言うことを聞こうとしない独りよがりな思いこみに対してはそれを正さなければなりません。


これに対して上のクラスでは全く逆で、そりゃあもう、素直というか、わたしの言ったこと全てをそのまんま見事に吸収します。わたしの作った語呂合わせもそのまんま頭に入っています。

わずか5分の間に戦後の日本の歴史年号をほとんど憶えるのです。その数20個くらい。

スゴイですよ。


一方、下のクラスにも男子が4人います。そのうち二人は上のクラスに上がりたいと思っています。

向上心があるんです。ところが女子たちは、自分たちの志望校は久留米付設レベル以下なのだから

上のクラスと比較しないで欲しい、自分たち下のクラスは上のクラスとは別個独立でいたい、だから上のクラスと比較するようなことは言わないで欲しい、と主張します。

それで、わたしは、またしても怒りの炎がメラメラと燃え上がります。受験校のレベルの問題ではない、受かりたいと思う意欲に違いやレベルなんか無い、と言い聞かせます。

そして、下のクラスの男子たちに言います、『君たちは上のクラスで配っているプリントが欲しいか?』すると彼らは即答します『欲しい!』と。しかし彼らはなかなか良い成績が取れません。

この2つのクラスの子供たちの違いは一体どこから来るのでしょうか。

たぶん、上のクラスの子供たちは知識習得をゲーム感覚で捉えているのです。なんだか憶えることを遊びのように見ている節があります。

これに対して下のクラスの子たちは、男は歴史オタクのように深く広く知ろうとします。こちらの方が本当は勉強としては正しい態度だと思います。知りたいという欲求を充たそうと、広く深く知識を求めます。ただそれが災いしてか、テスト対策という意識は希薄になります。

つまり、テストに出ようが出まいがとにかく歴史を知りたい、という根源的欲求に基づく学習をするので、ポイントをつかむ勉強が出来にくくなり、そのためテストの点数も知識に比例して伸びるということになりません。

女の子たちはとにかく文章読解力がありません。漢字も知らないし声を出して読む力も弱いです。中には上手に読む女の子も居ます。ですが、それはただ単によどみなく読むことに集中しているだけで内容を要約して要点を押さえるという消化吸収作業が伴いません。そのため、読ませた後にその子に要点、キーワードを聞くと返事が返ってきません。


 と言う風にこの夏は小6の女子たちに振り回されました。


☆終わってみるとあっという間でした。もう1週間続けても良いかな、なんて思いもします。

 

☆明日から3泊で北海道に行ってきます。知床や富良野なんかを見てきます。

たっぷり写真を撮ってきます。



2010年8月18日水曜日

あと2日







過酷な夏期講習も金土の2日間で終了です。





お金があればこの一夏、ずーっと海外旅行していたかったです。






ただまあ、来週から4泊5日で家族3人で北海道旅行に出かけることに。本当はヨーロッパに行きたいと思っていたのですが、アイスランドの火山噴火と、8月出発のツアー代金がメチャ高いのにガックリきてあきらめたのです。








☆最近の中学生の学習内容は昔と比べて極端に減っています。特に地理はヒドイです。地方別学習や県別の知識をまんべんなく習得させることなんかまったくしません。



例えば東北地方なら山形県だけを取り上げて不必要に詳しく記述しているのですが、それ以外の県には一行も割かれていません。
世界地理も同じで、ヨーロッパ全体の説明がないまま、突然、フランスについてだけ異常に詳しく説明します。




これでは地理の全体像がまったく見えません。




また、そういう状況の下で統計資料がわんさか載っていて、それを憶えろと指示されます。




これではどんな人間でも地理が嫌いになります。全体像、基礎知識習得が出来ないまま抽象的な数字だけを並べている、欠陥教科書の見本です。




そのためか、21世紀の情報社会下であるにもかかわらず、いまの中学生たちには世界、いや、日本についての基礎知識がほとんどありません。中3の一番上のクラスの生徒でさえ、オランダやベルギーがどこにあるのか、きちんと言えません。




また、習うべき知識の量が極端に減っています。ライン川もドナウ川も習いません。地中海性気候なんていう世界の気候も出てきません。




わたしの時の三分の一くらいしか習いません。このままでは日本はダメになります。




☆3日前の月曜、可也山という糸島の山に夕日が落ちようとしていたとき、まるで北斎の凱風快晴の版画のような見事な色合いを目撃して感動しました。ただ、残念なことに、クルマを運転していてシャッターが切れなかったんです。ほんとうに悔しいです。




☆わんこのファン太、先週田舎に連れ帰ったら、大勢の初めて見る人間に抱かれたためか、かなり人間慣れしたようです。顔つきが少しマイルドになった感じがします。




☆毎朝塾に行く前、筑前前原駅前のマックでアイスコーヒーのLサイズを買っていきます。なかなかおいしいです。9コマ連続授業というハードな時間割をこなしていくのには、自分をマシーン化しなければなりません。生徒に向かって教えている自分自身を、そばで別の自分が眺めている、そんな感覚です。

2010年8月15日日曜日

心広きチャコ











お盆に田舎に帰省してきました。チワワのファン太を連れて。





田舎にはチャコというコーギーの雑種が居て、果たして二匹が対面したらどうなるか、と少し不安でした。





チワワの方は案の定、臆病なくせにチャコに向かって吠えたてました。ところがチャコの方は、自分の縄張りによそ者がやってきたにもかかわらず、怒りもせず、むしろ一歩引いてました。





わたしがファン太を連れて散歩に出かけると、チャコは50メートルほどの距離を置いてつかず離れずで付いてきてました。





やはりなんか気になるのでしょう。私たちと一緒に行きたいけどオレがオレがと自己主張はしたくない、でも自分の存在もわたしに分かってもらいたい、そんな風情でした。





チャコのそんな奥ゆかしさにグッと来ました。





それに引き替え、チワワのファン太の方はというと、人間そっくりのイヤな性格の持ち主。ほんと、小さいくせにこちらの方がなんか人間くさいです。





多分、愛玩犬という種は買い主の顔色、感情を察知して自分の意のままに操ることにより自己保存を図るという本能を持っているのでしょう。わがままで甘え上手で臆病で内弁慶で打算的です。








☆ことしの夏はなんとなく虫の数が少ない感じがしました。例年なら網戸にびっしりと張り付いているのですが、ことしはほとんど見ません。




逆に、実家の縁の下に巣を作っているミツバチたちは猛烈に働いていました。熱に浮かされたかのようにしゃかりきになってせっせと取ってきた蜜を縁の下に作った巣に運び込もうと、ブンブン飛び回っています。それが玄関のすぐ横なので、かなり怖いです。




☆明日からの塾の準備が間に合わず、ちょっとマズイです。作らなければならないプリントが出来て無くて、顔が引きつり始めています。




 ただ、お盆休み中にたっぷり休養を取ることが出来、体力はすっかり回復しました。



いつもはカロリーオフの発泡酒ばかり飲んでいるので、実家でエビスビールを飲んだとき、余りの濃さに驚きました。




☆チワワのファン太は、わたしがこき下ろしたにもかかわらず、実家の母や兄家族にはめちゃめちゃかわいがられていました。ただまあ、『ブス可愛』って言われましたが。








2010年8月9日月曜日

久しぶりのオフ











土曜日、夕方に塾が終わり(教室長のはからいで)、日が暮れた後長浜屋台街ちかくの魚料理店『だぼ』という小さな店でロー仲間と再会。




出てくる料理全てに驚きました。




圧倒的な質と量、見たこともない魚や貝類、目一杯飲んで食べて一人4000円。




全員圧倒されました。もちろん味もまた格別でした。




店内にはほかに10人くらいの団体が居て、わたしらグループとで貸し切り状態。




楽しかったです。でもこの飲み会は神戸から来たKさんの送別会でもありました。




今週末、実家に戻るのです。またいつか必ずどこかでバッジをつけたKさんにあえるときが来ると確信しています。




で、その飲み会に、わたしの写真が載った塾のパンフレットを持って行ってみんなに見せました。みんな大爆笑。




と、一人が、『この教室長、ぼくの大学時代の司法試験勉強仲間ですよ』と。なんとまぁ!








翌日曜は朝7時から団地掃除。とてもつらかったです。前日のお酒がまだ消えず、塾での果てしない労働の疲れが澱のように溜まって、雑草の海を見た途端、へたり込みそうになりました。








午後、ローに通っているOくんが来て、倒産法のレクチャーをしました。ところが、たった2ヶ月で、相当量の知識が抜け落ちているのに気づき、またへたり込みました。




で、途中から居眠りを始め、O君が言うにはわたしはイビキをかいてたそうです。








やはり、重労働とくそ暑さのせいです。3日前は実に38,3度を記録したのです。




冷たい飲み物ばかり口にしています。食欲減退気味でこまってます。








☆実に2ヶ月以上振りにロー別館に行きました。かつてのわたしの机はすでに別の人間が使用していました。わたしの私物はロッカーに移されていました。




帰りに箱崎のラーメン屋に行きました。そこはもう25年以上も通っている店です。




で、ラーメンを食べていたところ、突然上からハウスの一味唐辛子の小さい瓶がラーメンどんぶりに飛び込んできたんです。




カウンターの上の台に箸とかゴマとかと一緒に置いてあったのが何故かラーメンどんぶりにジャンプしたんです。




その時、ガチャーンっと言う音も聞こえました。




カウンターの向こうで作業していた店の人間の体が当たってその弾みで一味唐辛子の瓶が落ちたみたいでした。飛び込んで上がったラーメンスープのしぶきがわたしの顔面に跳ねて、めがねに油の油膜が出来ました。




そのときわたしは三分の二くらい食べ終わっていたのですが、店の人間たちが、『すみませ~ん、もう一度作り直します』と言ってきました。




それで、もうこれ以上食べられんけん、もういいです、と返事したのですが、向こうはなんとしてでももう一杯作ると言って聞かず、さっさと作り始めました。




食欲不振でしかも胃腸の調子も完全ではないのにもう一杯食べさせられたらたまったもんじゃない、とこちらも何度ももう要らない、と言ったのですが、根負けしました。




で、出てきたラーメンに手を付けたものの、やはりもうこれ以上ダメでした。




二口くらい食べてギブアップし、店の人に千円札を渡しました。




すると、ちゃんと代金を取りました。450円。ひょっとしたら代金はもらいません、とかなんとか言ってくれるかも、と期待しましたが、、、、、、。




新しいラーメンが来るまでの間、そばに置いてあったテッシュでめがねと顔を拭いてこちらの被害状況を暗に知らせたのですがね~。ちょっとがっかりしました。




2010年8月4日水曜日

元気回復すれど


体調は完全に元に戻りました。ただ、ネタがありません。


猛暑の中をてくてくタラタラ塾に行き、一日中子供たちを相手にし、足が棒のようになって引きずるようにして夜10時半に帰宅し、風呂に入ってカロリーオフの発泡酒を呷り、バタンキューとなる、そんな毎日です。


しかしなんですな~。子供って、小学生と中学生とでなんであんなに違うんでしょうか?


良くも悪くも純粋で好奇心も旺盛な子たちが、たった1,2年で豹変するんです。ゾンビみたいに無感動無関心に。


まあ、個別に対応すると、はにかみながらも反応するので、教室内で無反応なのは羞恥心が出始めたためかもしれません。




☆今の授業内容は私たちの頃のおよそ半分に減っています。世界史なんか、鼻くそ程度しか出てきません。それでも歴史が苦手という生徒が山のようにいます。なんでだろ?




☆わたしの傑作語呂合わせ集


♯1


正長の土一揆(1428)と山城の国一揆(1485)、加賀の一向一揆(1488)を一気に暗記できるやつです。


ツバ吐いたババァどこ行った、とシャカが聞き。

2010年7月28日水曜日

とりあえず


報告だけ。

風邪も半分くらい治まりました。熱はほとんど下がりました。喉の腫れは引きましたが代わりに咳と鼻水が出始めました。

でも、もうひどくなることはないだろうという感じがしています。


☆今日、3年生の女子生徒が、743年の墾田永年私財法の語呂合わせで面白いのを言ってました。

ナンシーさん、来んでえ~ねん、というのです。

負けた、と思いました。わたしのは、

なして三世一身止めた?

でした。

それでその生徒に素直に負けを認めました。

2010年7月26日月曜日

喉が・・・











昨日夕方女房の実家にバイクで向かう途中、走り始めて1キロちょっと行ったところで後輪がパンク。




オーマイガー。




自宅まで歩いて押して帰り、再度バスで行こうとバス停(2系統あるのでそれぞれに。これがまた500メートル以上離れて居るんです)に向かうと、なんと35分以上も待たなければならないことに。




仕方なく実家にいる女房に電話して迎えに来てもらいました。




その時わたしの上半身は汗びっしょり。これが悪かった!




だんだんと喉が腫れてきたんです。




やべ~。明日は朝8時から塾でミーティングがあるのです。自宅を遅くとも朝7時には出発していないと。と言うことは、朝6時前に起きてないと。




ところがどっこい、あろう事か大恩ある大先生からメールが。中身を見るとローの話でした。




それで、こちらもついかーっとなって返信に没頭してしまい、気がついたら3時。あと3時間しか睡眠時間がない!なのに風邪の引きはじめの兆候ありありで、これは大変なことになった、と恐ろしくなってきました。




一体どうやって今日の9コマ授業をこなすか、マジヤバでした。




で、塾に着くと案の定喉が腫れまくって、唾液を飲み込むことが困難な状態に。




それでもがんばらんば、と必死に授業をこなしていきました。




結局、6回はイソジンでうがいしました。




すると、塾の帰り道、夜10時頃、なんか少しずつ腫れが引いてきたようでした。




でも、用心をしないと、と、夜中も空いているスーパーに立ち寄って、わたしの風邪の三種の神器である、半熟卵、バナナ、鶏肉以外の肉、を買ってきて腹に収めました。




それで、12時までに寝ようと思い、お風呂も入らず、顔と手足だけを温水で洗って、さっさと寝ることにします。



明日もまた同じように早いので。
それでは皆様、おやすみなさい。
☆写真は前原の商店街にある大昔からある食堂。お客さんの9割はおばあちゃんとおじいちゃんです。
わたしの親父も若い頃この食堂で食べたことがある、と言ってました。
カツカレー、580円。あんまり味がせず、半分残しました。