2011年5月17日火曜日

終わった

一昨日日曜日、夕方6時、最後の試験科目が終わりました。
受験勉強期間中も、受験中も、常に自分と時間との闘いでした。
恐怖心、不安、やらねばならないことが多すぎてパニックに。
受験中は論文も短答もすべて、何から何まで時間に追い立てられました。
問題文をわざと複雑かつ情報量を過多にして受験生を混乱の淵に突き落とし、さらには、知識の思いだしだけでは許さんぞ、自分の頭で汗をかけ、考え抜け、などという(個人的には大好きな出題形式なんですけど、短時間でそれをやれという無茶振り)、もしも何も思いつかなかったら茫然自失放心状態間違いなしの問題もあり、もう、いい加減にしてくれ、と発狂しそうな問題ばっかしでした。

短答問題もまた、完全に受験生が時間不足に陥るのを狙っているのが見え見え。
その上、とりわけ公法系の短答は冷酷、イジワルさがモロ出し。泣きそうになりました。行政法についてはかなり力がついてきたなあ、なんて思いこんでたのが見事にぶっ飛ばされました。
 部分点をくれる出題形式がまた、もの凄く減ってしまいました。

民事系短答試験が終わる直前、やっと全て解き終えマークシートの見直しをやってたところ、なんと大ミスを発見。3カ所も!付け間違いとマーク記入漏れ。マークシートに空欄を見つけたんです。終了1分前!
これにはマジ恐怖。問題集の該当ページを震える手でめくって回答の肢番号記入したんですが、ひょっとして記入ズレをしでかしてるかも、とその前後の問題を見直したところ、やっぱりありました。
あわてて消して書き直しをしたのが終了の鐘が鳴った直後。
監督の女性がマークシートを回収しようと、付け直し作業をしてたわたしとシートの奪い合い。
間一髪でした。
これに懲りて、つぎの公法系も最後の刑事系もしっかり見直しを。
結局、最後の刑事系でもマークミスを1問発見。
こんなに時間が足りなくなって焦らされるとは。
最初から最後までイジワルな試験でした。

全てが終わった後、この試験っていったい何なんだろう、と考え込まされました。
12ラウンドすべて、相手の激しい攻撃に耐えるばかり、防戦一方、途中何回かダウンも。
試合終了のゴングが鳴ったとき、自分の体には何も残っていませんでした。ことごとく消耗しました。

☆付け焼き刃の知識を排除しようとしているなあ、という感じは受けました。条文も判例も学問的基礎知識も自分の物になっていなければならない、という戒めなんでしょう。普段からクイックレスポンス、即答できるように心がけよ、ということなんでしょう。
それから、科目別に要求事項が違うなあ、とも。

☆去年法務省から送られてきた自分の成績を基に、今年はどれくらい取れたかなあ、なんて勝手に点取り表をあ~でもないこ~でもない、と作ってます。
今年、完璧に失敗した問題がいくつかあります。思い出すのも怖ろしいです。逆に、わずかですがこれはイケたんじゃないか、というのも。あとは他の受験生たちの出来次第です。嗚呼、ほかの連中も出来てませんように。
☆今年ダメだったときのために早めに勉強再開しようかな、という思いが強いです。

☆体重が60キロを切りました。30代のころ、毎日30本以上たばこを吸っていたころに戻ってしまいました。たばこには食欲を減退させる物質が入っているらしく、あのころは猛烈な空腹感というのがんまりありませんでした。たばこを止めた途端、白いご飯の美味しさに目覚め、食べて食べて、知らない間に78キロまで増えてました。今年の元旦から禁酒をはじめ、夕食後は何も食べないようにもしました。
そうしたところ63キロまでへったのですが、受験直前から食欲不振がきわまると同時に下痢も始まり、1ヶ月で3キロ減りました。
☆受験終了後、修習生のIさんにおごってもらいました。わたしの他に受験生が二人、計4人でした。
5ヶ月ぶりの生ビールと純米吟醸は、やっぱり美味しかったです。
そのあと自宅まで40分間歩いて帰りました。途中大濠公園を通り抜けたのですが、暑くも寒くもないちょうど良い空気に包まれてふらふらとさまよう感覚で帰り着きました。
☆他の受験生たちは自分が何をどう書いたかの再現答案を書くと言ってました。わたしの場合、寝ても覚めても頭の中で勝手に再現をやってます。おかげで気持ちが動揺しっぱなし。
☆☆ただ、これは本当の掛け値無しの本心なんですけど、意外に結構サバサバ感があります。どっちに転んでも自分の仕業なんだから仕方がない、といったところでしょうかね~。

2011年4月25日月曜日

武田先生良いこと言うなあ!


原発七不思議 神になった専門家

内容:


"原発七不思議 神になった専門家"
- 武田邦彦 (中部大学): 原発七不思議 神になった専門家Google サイドウィキで表示

ほとんど手を付けていない会社法と民訴。今週中にやっつけないと。


2011年4月21日木曜日

いろんな見方



チェルノブイリ原発事故当時の責任者、日本の危機対応を称賛

内容:



"チェルノブイリ原発事故当時の責任者、日本の危機対応を称賛"
- チェルノブイリ原発事故当時の責任者、日本の危機対応を称賛 ReutersGoogle サイドウィキで表示


試験も間近に迫ってきております。精神安定が大変です。



最近は自宅に籠もっております。勉強机、コタツ、トイレ、枕元、と4カ所それぞれに違った教材を置いてグルグルしております。


原発事故について、一時は東日本が無人地帯になるのかと本当に恐れていました。試験どころではないと。


まったく、こんな状況下で試験勉強してるなんて想像もしてませんでした。


東電と政府からの情報があてにならないのでまだ心配です。やはり知識経験の豊富なフランスロシアアメリカによる援助監視公開が必要だと思ってなりません。


2011年4月9日土曜日

汚染海水から放射能を吸い取り除去する藻http://diamond.jp/articles/-/11772

イギリスネイチャー誌が発表しています。こういうのを待ってました。 この前載せた、ガソリンを作る藻やレアメタルを回収できる藻があるのなら放射能を吸い取る藻もあっても良いんじゃないかなあ、なんて空想していたところ、なんと現実だったなんて。

先月は原発事故のことが心配で心がザワザワしてました。


今月はアメリカフランスの応援でなんとか落ち着きを取り戻しつつあります。


そんな折り、ダイアモンドオンラインというサイトでアメリカの放射線専門家のインタビューが載ってました。それを読んでもっと安心しました。上の表題にサイトアドレスを載せました。


テレビでは細かい電源回復とか水漏れとかばっかりしか言ってくれません。結論を先に言ってくれ、です。


政府と東電と安全保安院と諸外国からの応援の連携はどうなっているのかを完全オープンに国民に知らせるべきです。屋内待避?なんすかそれ?自主避難勧告?どこに?いつまで?自主的に避難しなかったらどうなるの?


政府の指示は不安をかき立てるのみです。


☆今日で2週間続いた公開模試が終わりました。受けて良かったと思いました。


だんだんビジネスライクな答案が書けるようになってきたかな、という感じです。単刀直入に書くというのは難しいです。


☆辰巳の公開模試は本試験会場で受けるので臨場感抜群でした。ただ、気のせいか去年よりも受験者が少なかったような気がしました。


本番慣れにうってつけだったのが環境です。わたしの右後ろに座ってた男が、4日間ずっとずっと大きな音を立てて咳をし続けたのです。それがもの凄い音でして、周囲の連中はもの凄い大迷惑でした。


音だけでなく、マイコプラズマ肺炎みたいな病気感染の不安もありましたがイライラの最大の原因はその男にマナーの欠片も無かったことです。シーンとした受験場で唯一人その男の出す迫力たっぷりの咳、それも間断なくやられるのです。ふつうの人間ならタオルで口を覆って音を出さないようにするはずなんです。それをそいつはなんら遮蔽をせずにゲホゲホやるのです。


さすがのわたしも今日はかなり頭に来ました。そういうアホには辰巳のスタッフが注意するのが役目なのに、と思うと何もしなかった辰巳の責任者にも怒りがこみ上げてきました。


でもまあ、もしもそいつが本番でわたしの隣に座ったとしたら、と思うと、そういう意味では良いシミュレイションになったのかもしれません。


☆4日前の4月6日に、唐突に春が来た感じがしました。空気がモワモワっとしてきたのです。バイクに乗ってもその日から手袋が要らなくなりました。


公開模試の合間の昼休み、会場近くの山王公園で弁当を食べました。桜が満開でした。


後ちょうど1ヶ月。まだ1ヶ月もある、と思うとうれしいです。



2011年3月29日火曜日

花が咲いたよ






願わくば花の下にて春死なん その望月の如月のころ 西行


はやく春ののどかさ、やるせなさを思う存分味わえることができるように。被災地の皆様の復興を心よりお祈りしています。

なんでも、『だいじょうぶ!』というかけ声が一番良いのだそうです。

もうすぐ降りかかってくる受験。わたしも自分自身に向かって、だいじょうぶ、と毎日言い聞かせていきます。


※写真は福岡市役所前広場 平成23年3月29日(火) TACから歩いて4分のところにあります。駐輪場がこの広場の隣です。

※明日からTACの総合模試 水木土日の4日間、朝から夕方まで 

 

2011年3月26日土曜日

大人の千羽鶴

☆そのネーミングのセンスの良さに感動しました。多田あさみさんというグラビアアイドルさんが発案した募金の名前なんです。 1000円札に描かれているタンチョウを千羽鶴にたとえているのです。みんなで1000円札を募金しよう、という意味です。素晴らしい。 ☆☆危険と不安とは違う、と専門家が言ってました。人は危険には正しく対処できるが不安には誤った対処の危険が大きいと。けだし名言。政府の言ってる放射能の危険値っていったい何なんでしょうか。 食べても安全ならそんな数値は意味無いじゃないですか。 ☆☆☆総理大臣はなぜ現地に赴かないのか?被災地の避難所にダッシュで出かけていって被災者の方々を激励するくらいのパフォーマンスが必要だと思います。 第二次大戦のイギリスでチャーチルの演説がどれほど英国民を力付けたことか。 全国民、全国力を挙げて被災者を救済する、と大見得を張って欲しいです。官邸に閉じこもっていて何になるのでしょうか。実方は枝野や仙石に任せ、総理大臣は国民の精神的支柱としての役割を果たすべきです。 そんな情けない管さんに比べ、天皇皇后両陛下は本当に本当に素晴らしいです。皇居では節電に徹してらっしゃるそうです。暖房もつけてらっしゃらないとか。また、那須ご用邸のお風呂を一般に開放されたことも、そのお気持ちがどれほど国民を鼓舞していることか。これほど素晴らしい皇室は日本史上他にないのではないでしょうか。あの聖武天皇と光明皇后の仲むつまじいお二人も今上天皇皇后両陛下にはかなわないと思います。 ☆☆☆☆あの東電にはほとほと愛想が尽きました。高濃度の放射能で汚染された地下に溜まった水のことを復旧作業員に伝えていないのです。この隠蔽体質、逃げの体質、どこまで国民と国土を傷つければ済むのでしょうか。怒り心頭です。 さらに、2年前に学者が安全設備の不備を何度も注意していました。平安中期、貞観の大地震の爪跡の分析から、福島原発の安全性は十分でないことを東電に伝えていたんです。ところが東電は黙殺しました。誰も言っていませんが当時の自民党政権、福島県政にも問題があったと思います。当然マスコミにも責任があります。原発についてはいくら備えをしても足りると言うことはないのです。 しかも東電は自分たちは手を汚さずに下請け、孫請け会社の作業員に危険な作業をさせています。月給20万円の作業員を被曝させてしまったのです。本当に許せない。 関東東北に住んでいる人たちはこの人災のせいで自分たちの生存が脅かされてしまいました。 東電の社長!隠れてないで出てこい、と言いたいです。東電の幹部連中は全員福島県に住め、と言いたいです。 ☆☆☆☆☆被災地の卒業式で卒業生が避難場所になっている体育館でふるさと、を歌いました。被災者の皆さん、なみだなみだ、でした。わたしもです。 それにしてもかれら中学生高校生には本当に心の底から感動します。いつの間に日本の子供達がこんなに素晴らしい人間になったのか、ウレシイと同時にすごく驚きました。 自発的なボランティア(ボランティアなんだから自発的なのは当たり前ですが)、誰かのために何か役に立てることをしたい、という希求心、それから高校野球の選手宣誓の言葉はオバマ大統領の演説が色あせるほど心を打つ素晴らしいものでした。 震災時におけるスポーツの良さが初めて分かった気がしました。 ※ローの自習室の机を一昨日明け渡しました。別館という、元工学部棟(歩いて5分ほど)にロッカーが設けられています。そこにある教室で勉強することが出来ます。ただ、何となく暗い感じがして余り居たくないです。 そうかといって一日中自宅で勉強するのは若干スピード感が弱まります。それで、晴れた日は朝からTACで、雨の日はクルマで九大図書館へ行くつもりにしています。 もっとも、昔もの凄い数の本を旅行用バッグに入れて肩に担いでいたら首を痛めてしまってむち打ち症のような違和感が続いたもので、なるべく最小限度の本に抑えないと。 また、今度の水曜日からはTACの総合模試が4日間朝から夕方まで続きます。その2日後、今度は辰巳の総合模試をまた4日間受けます。

東京や仙台の受験生は大変でしょう。とくに被災された受験生は受験どころではないかもしれません。ところがこの試験はロー卒業後5年間しか受けることが出来ません。その5年の間に3回だけ受験できるんです。つまり卒業後5年以内という期間制限と、その間に3回だけという回数制限という二つの制限があります。このうちのどちらかに引っかかる人はエライコトです。


法務省は仙台会場で受験する人たちには、今回に限って仙台以外の会場でも受験して良いと言ってます。有り難いことですが、そうすると今度は1週間近く続く本試験のためにホテル宿泊をしなければならず、大変な費用と苦労がかさみます。


そういう人たちのことを思えばわたしがローの自習室を失ったことなんぞ屁みたいなものです。

2011年3月22日火曜日

気高さ

被災した子供達の顔つきがスゴイです。
みな凜としています。テレビのインタビューに応えるのですから自然と笑顔を浮かべます。その笑顔はどこにでもいる少年少女のそれです。ですが、よく見ると彼ら、彼女らの目付きがスゴイ!
目は笑っていません。どこか遠くを見つめているようなおぼろげさと,何かに集中しているようなキッとした緊張感とが混じり合って、どこか仏様のまなざしのように見えます。

大切な家族や友人、家、町、日々の何でもない暮らし、それら全てを失って、寒い夜、真っ暗な避難所の冷たく堅い床に一人横になるとき、昼間気丈に振る舞っていた反動からか、無限の闇のように広がる喪失感に引き込まれてしまい、悶々と眠れぬ夜をすごしているのでしょう。


そして再び朝が来て、避難所の中で一生懸命、動けない老人達の元に暖かい味噌汁やおにぎりを持って行き、床を掃除し、トイレの水を運び、歯を食いしばって笑顔を見せては周りを励ましています。

彼らは一瞬にしてオトナに成長しました。いや、させられてしまいました。
そういう彼らを心から尊敬します。

ですが、廃墟となった我が町を見渡す高台で、一人の少女が泣きながらがれきの街に向かって、『おかあさ~んっ!!!おかあさ~んっ!!!』と叫び続けている映像を見ると、胸が潰れそうです。
わたしたちはなんとしてでもこの子達を助けねば。