2009年1月26日月曜日

雪幻想2




今日は雪は舞うものの、積もるようではありませんでした。次第にみぞれに変わりました。ローに行くと昨夜の幻想風景は消滅していました。


 刑訴の択一的認定というところの判例をたくさん調べなければなりません。また、民法でも不法行為の逸失利益の判例を15個ほど調べ上げないと。


もうすぐ後期試験だというのに、明後日の最後の授業では判例がてんこ盛りで聞かれます。


みなさんにお尋ねします。刑訴の問題です。次のようなケース、あなたならどう答えますか?


Xは、その妻Yと、札幌市内で2月下旬、雪の積もった道路の雪かきのため除雪車で除雪作業をしていました。運転していたのはXです。時間帯は夕方6時以降の日の暮れた後です。


その除雪車でXが除雪していたところ、知らないうちにYを轢いてしまいました。数時間後XはYを轢いてしまったことに気づき、Yを雪の中から掘り出しました。そのときYの体は冷たく冷え切っていました。XはYが死んでしまったものと思い、自分が轢いたことを隠そうと、他の車で轢かれたように偽装するため、Yの体を通行量の多い道路まで運び、その道ばたにYを放置して逃げました。


その後Xは逮捕されたのですが、その後の鑑定の結果XがYの体を放置した時点では実はYがまだ生きていたかもしれない、という可能性が生じました。


そこで問題です。あなたならXをどうしますか。①生きているYを厳寒の街路に捨てたのだから保護責任者遺棄罪が成立する、②いや、死んでいるとXは思ったのだから、法定刑が軽い死体遺棄罪が成立する、③いや、どちらも成立せず、不可罰となる。


面白いご意見をお待ちしています。





4 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

美しい雪景色も、あんみつさんの質問を読んでいますと、だんだん不気味になってまいりました。おお、コワイ...。
刑法や法律の知識など皆無ですので、
面白い感想はかけませんが、最初は、単純に①かな..と思いました。
しかし、読んでいくと、②の死体遺棄罪のような気がしてきました。
一応、このヒドイ夫も、轢いたと分かった時点で掘り起こし助けようとしたようですし、それが、あまりに冷たくて、怖くなってその場から逃げ出したくて遺棄してしまった..。
そんな状況のようですから、殺意があるかないか、というところが問題なのでしょうか。
う~ん、どちらにしても、妻としては、許せないですけどねっ!(^^)!。
しかし、①の方が罪が重いとは、驚きました。このままにしたら死ぬであろうことが分かって遺棄するのと、死んだと思って遺棄するのは、ずい分罪の重さが違うのかしらん(^^ゞ。
いづれにしても、こんな夫断じて許せませんわっ!!(笑)
というより、もはやこの夫婦は、雪掻きする以前に、夫婦関係が破綻していたのでしょうか?何だかそっちの方が気になりました。
だって、普通は、捨てませんもの。。
病院に即、運びます。

ミーハーな回答でごめんなさい♪。

しかし、雪道は、一歩間違うと、コワイですね。
あらためて、実感!

あんみつ さんのコメント...

芙蓉さん、コメントありがとうございます。芙蓉さんの勇気に感謝します。自信のないことにチャレンジする精神、素敵です。
じつはこの問題、本当は出題ミスです。
詳しく言うと長くなりますので省きますがポイントは間違っておりませんので。
 結論から申し上げますと、判例は死体遺棄罪が成立し、有罪としました。
ところが、学説の通説はこれに反対して、無罪だと主張するのです。
それぞれ理由を述べます。
 まず判例の理屈は、重い罪である(生きている人の生命を脅かす点で遺棄罪のほうが、死体を捨てる死体遺棄罪よりも重いので)遺棄罪が成立するためには、捨てられた人が生きていたことを証明しなければならない。ところがその生きていることが証明できない、ということはその人は生きていないと証明できたことにする。
なぜなら生きていることが証明できない場合、検察官は生きていることを証明できなかったツケを払わねばならず(これを挙証責任といいます)、そのツケとは、検察官に不利な事実が立証されたことになる、とするものです。
つまり、人は生きているか死んでいるかのどちらかしかありません。
検察官にとって有利なのは被害者が生きていると言うほうです。なぜなら生きている被害者を捨てるほうが罪が重く、被告人をできるだけ重く処罰しようというのが国家なので、被害者が生きていることが立証されたほうが被告人を重く処罰できるので検察官に有利と言えるからです。
 ところが検察官は被害者が生きていることを証明することができませんでした。被害者が生きていたのか死んでいたのかという問題で、被害者が生きていたことを立証することに失敗したということですから、検察官に不利なツケとは、生きていることの反対の結果、つまり被害者は死んでいたことが立証された、ということになる、だから死んでいる被害者を捨てたことが証明できたことになるのだから死体遺棄罪となる、という理屈です。
 これに対して学説は、被害者が生きていることも死んでいることもどちらも証明できなかったのだから、どちらの犯罪も立証されたことにならない、だから被告人は無罪だ、というのです。
 常識から言うと学説は全くおかしいです。非常識極まりないです。論理を振り回しています。人は生きているか死んでいるかしかないのですから、犯人は生きている人を捨てたか死んでいる人を捨てたのかのどちらしかありえません。
で、重い遺棄罪(生きている人を捨てる罪)が証明できないのならもう一つの罪である死体遺棄罪が成立すると考えるのが常識だと思います。
もしも無罪とすれば犯人が一番驚くんじゃないでしょうか。
 もちろん、判例のほうが非常識なことを言うときもあります。
 私の申し上げたいことは、権威を疑え、ということでした。
長ったらしくなって申し訳ありませんでした。

追:実は上の判例の理屈にはトリックがあります。
たとえば、饅頭が1コあって、それがなくなってしまいました。A君が食べたのかB君が食べたのかいずれかしかありえない、としましょう。
この場合判例の理屈は使えるでしょうか。
使えません。まずA君が食べたのかどうかから照明を始めたとしましょう。でもそのことが証明できなかったとすると、直ちにB君が食べたことが証明できるでしょうか。できませんよね。だって順番を変えてもしもB君が食べたかどうかから先に証明を始めたとき、B君が食べたことは証明できませんからA君が食べたことが証明できることになってしまうからです。
つまりどちらから先に証明を始めるかで結果が変わることになってしまうからです。
要するに判例の理屈が使えるのは、二つのものの間に大小関係、軽重関係があって、先に大きい方、重い方から証明を始めることができる、という関係があることが前提になっている時だけです。
でもそういう前提があるなら判例の理屈は使えるのですから、本件でも使って何等かまわないといえます。
本当に長くなってしまい、申し訳ありません。読み飛ばしてください。

匿名 さんのコメント...

こんばんは!あんみつさん。

実は、場違いなコメントをしてしまったものだわ(^^ゞ、
と少々恥じておりましたが、
心優しい気配り&ご丁寧な解説、ありがとうございました。
素人の私にも、大変よく分かりました。
私の方こそ、あらためて感謝です。
実は、この奥様、本当に亡くなったのだろうか..と
最初からずっと疑問に思っていましたので
その点が明確になり、すっきり♪しました。

さて、これを機に以前のあんみつさんの記事を読み返してみました。
するとここにコメントされていました方は、皆様素晴らしい方ばかり!
新参者の私が、それも何もこの業界のことを知らないのに、的外れの感想、コメントを書き記しまして、
もう、まったくKYだったわ..と反省しきり。
どうぞ、私の方こそ、読み飛ばしてくださいませ。

その昔、「二十四の瞳」ではありませんが、
故郷の島国で小学校のteacherの仕事を3年間していたことがあります。
若かりし日のことです。
そのとき、子供達によく語ったものです。「冒険をしましょう!と、失敗を恐れずに、」と。

私自身、幾つになっても興味関心の心は失せず..。

本日は、ありがとうございました。
御礼まで

あんみつ さんのコメント...

芙蓉さん、こちらこそありがとうございます。わたしも勉強になります。小難しいことをできるだけわかりやすく説明するって意外と難しいですよね。でもそれをすると本当は自分自身よく分かっていないことに気付かせてくれるので自分の勉強になるんです。
 小学校の先生でらしたんですか。なんか少しずつ芙蓉さんの全体像が見えてきて次は何だろう、と興味が湧きます。
 きっと生徒たちから慕われてらしたんでしょう。冒険しよう、なんてことを言ってくれた先生はいませんでした。そんな先生がいたら毎日わくわくしながら学校に通って行けたのに。またその時のお話を聞かせてください。