2009年7月1日水曜日

ぼーっとしてたらエライコトに

来週月曜、レビン先生のレポート提出の締め切り。ハワードゼア著、『修復的司法とは何か』と言う本を読んでレポート4枚以上書かねば。その二日後、刑事法の課題提出締め切り、今週土曜、倒産法実務の補講があり、わたしは6番目にあたります。否認権と相殺権を予習しておかねば。で、明後日金曜夕方までに会社法ゼミの答案を提出せねば。
大変ですよこれは。

この前朝鮮日報という韓国のニュースサイトを見ていたら、新しい視点を得ました。その日本駐在の韓国人記者が言うには、韓国は本物の中央集権で、全ての権限が大統領府に集中している、地方分権なんか無い、と。それに比べて日本は江戸時代250年間、地方分権、いや、地方主権が続いた、だから、日本は首都だけでなく地方も豊なのだ、と。
なるほど、と感心しました。江戸時代約265の藩がありました。各藩主は領主であり、徳川氏は征夷大将軍たる地位を授かったけれどもあくまで大名の一つでした。おおむね地方主権だったのです。ですから各藩主は自領を少しでも豊にすべくもの凄い努力を続けたのです。
 それに比べ、中国は4000年間一貫して(いまだに)律令制度を続けています。一人の皇帝が全土を支配し、その下にいる官僚が法を作り法を守らせるという制度です。そこには貴族階級はほとんどありません。地方の豪族はいましたけど、それは中国が広すぎるからです。皇帝の役人の力が及ばない地域が数ありました。日本で言えば藤原氏がのさばる前、天智天皇、天武天皇らが理想として追求しようとした時代です。奈良時代がそれにあたります。今の中国も、共産党という皇帝とそれを支える官僚で構成されています。むかしとなんら変わりません。
 韓国は、いまも平安時代です。王と貴族(ヤンバン・両班)の時代が1000年間続いています。いまもです。ですから、日本の平安時代と同じように地方は搾取の対象に過ぎず、地方を育てるという発想がありません。 国民の8割が農奴だったとも言われています。
 ところが日本には鎌倉時代があるのです。ここが中韓と、いや世界のどの国とも絶対的に違う点です。武士という階級が誕生したことが日本文化をアジアのみならず世界的にみても極めて特殊なものに仕立てたのです。
 武士階級がある、ということは西部劇の時代が日本にあったということです。自分の土地は自分で守る、都の役人も貴族も当てにならない、実力だけが全てである、という超合理主義が武士の発想です。そこから、搾取ではなく領地を育てる、地元主義が誕生しました。もちろん他人の土地を奪う、という略奪も。それゆえに戦国時代がうまれたのですが。
それの行き着くところが江戸時代の幕藩体制です。ですから、上杉鷹山のような領主が大勢出現して地方を豊にしていったというわけです。
 おっさんになってだんだん分かってきたのですが、日本っていう国は本当に地方色が豊に残っています。というより、地方の集合体で出来上がった国なんです。ドイツのラントほどではありませんが藩は大方の主権を持っていたと思われます。
そういうわけで、幕藩体制って地方分権と言う意味においては意外に良い制度だったと思います。今、地方分権と騒いでいますが、モデルは近い過去にあった、と言うわけです。
 ちなみに、日本には奈良時代は奈良、鎌倉時代は鎌倉、室町時代は京都と足利、山口などの地方都市、と、各時代を象徴する都市が今も当時の風情を
残していて嬉しいことです。

2 件のコメント:

はまやん さんのコメント...

 地方分権の話為になりました。こんな話を高校の日本史の授業で聞くことは有りませんでした。大人になっても近隣諸国と比較して話をする人もいませんでした。地方分権の時代が来るのにあと何年かかるのか。時代が成熟するためには、有権者自身の意識が高揚しなければならないのでしょうか。

あんみつ さんのコメント...

はまやんさん、コメントありがとうございます。
たった今明日提出期限の会社法ゼミ答案を書き終えたところです。
今午前1時です。
あと1時間倒産法の本を読みながら寝ます。
明日朝8時にローに着いて民事法の予習と倒産法の勉強をし、授業後夜8時までローで倒産法、土曜朝、要件事実の予習、をしなければなりません。
疲れのせいか、耳鳴りがひどくなってきました。