2009年2月13日金曜日

不安がとうとう現実に

民事裁判実務、不可でした。あ~あ~あ、、、、、、、、

ショックです。ローで初の不可。司法試験の択一や論文の合格番号発表のとき、検察庁の掲示板に貼られた紙を見て自分の番号がなかったときと同じ心境に陥りました。頭から血が引いていく感触です。

やはりわたしにとって検察庁は鬼門だったのか、なんてことも浮かんだりしました。授業でも優秀な上級生たちが再履修を受けていたのがすごく気になっていました。来年後期、もう一回受け直しです。

でも、でも、でも、、考え直しました。

これはチャンスなんだと。

要件事実をちゃんと身につけることが出来るのだと思えば、負担どころか逆に有り難いことではないか、単位を落としたことなんか全く恥でもなんでもない、堂々ともう一度授業が受けられるのだ、と思い直しました。

民事裁判実務という科目は、民事訴訟法という法律の知識と、事件を訴状にどのように書き分けるか、という要件事実、の二つの領域で構成されています。

わたしは後の方の要件事実の書き方、書き分け方が出来なかったのです。

これは自分の性格が災いしています。なんでも慣れるのに時間が掛かるんです。何でそうなるのか、という仕組みや全体構造を知らないと頭に入らないんです。要件事実の思考方法が分かりかけたのは試験の直前でした。

 でも、試験には間に合わなかった、ということです。

新学期の前期には別の先生(元裁判官)の、スバリ『要件事実』という科目があります。まずはそれに出てもう一度基本を確立させたうえで、後期、再チャレンジします。捲土重来、です。

 まあ、これが本物の司法試験でなくて本当に良かった、と思いました。落ちた体験を久しぶりに実感したので春休みの勉強にもの凄く気合いを入れることが出来ました。

 とはいうものの、この発表を見た後、3時間くらいは一旦引いた血が頭に逆流して首から上がかーっと燃え上がるように熱くなり、正常な思考ができませんでした。

 しばらくして、期末試験の解答をネットから落として見ました。民事訴訟法の知識問題は10点配点でこれは満点だったのですが、その後の要件事実70点配点のうち書き方をしくじったり書き落としたりして半分も取れていないようです。

自分の弱点がモロ出た感じです。自身のないところをハッタリで押しまくる、ということが出来ないんです。逆に自信のなさがべろっと出てしまうのです。

 くどくど愚痴ってしまいました。まだ引きずっているようです。

でもまあ、これを良い経験として来年5月の本試験に繋げようと思います。失敗から学ぶことが大事、と心得て謙虚に真摯に頑張ります。

 実は先ほど書いた、前期の授業である、要件事実、去年取ろうと思っていたのです。ところが、上級生優先だから、新入生は遠慮して、と書かれた掲示板が貼られていて、わたしは馬鹿正直にもその通りに遠慮したんです。ところが実際は私のクラスでも何人かその授業に出た人がいたんです。

今思えば、遠慮なんかするんじゃなかった、と後悔しています。なんてまたしても愚痴が出ました。だめだこりゃ。

ほんと、理性が感情を抑えるって、すごく難しいです。近頃人気のお笑い芸人のセリフじゃないですが、『くやし~ですっ!』

2009年2月12日木曜日

検察庁見学





























九大と福大のロー生計23人でお邪魔しました。建物の各部屋をざーっと見せてもらいました。接見室という、弁護士と拘留中の被疑者とが話が出来る部屋も見ました。







途中から、修習生3人、ロー生3人でひと組となって、被疑者役に検事さんがなって模擬弁解録取をやらされました。







修習生は福岡全体で88人もいて、それを4つの班に分けて刑事裁判民事裁判検察弁護士事務所に分かれて研修します。







驚いたのは彼らの若さです。本当に若い。おまけに女性の修習生は相当の美人揃いで心底びっくりしました。







終わって近くのしゃれた中華レストランで懇親会。総勢45人ほど。大集団になりました。







ここでも若い修習生達がエネルギーを発散していました。ロー生は目立たなくなっていました。







わたしの目の前に座った若くてカワイイ女性の修習生と話をしていると、なんと!その子は新司法試験の公法系の得点が全合格者2200人中8番だったんだと!!







仰天しました。失礼ながらとてもそんな風に見えなかったのです。でも、これは大ラッキーだと思いました。わたしの苦手な行政法が公法系の一部なので、一体どういう勉強をしてきたのか、を根掘り葉掘り聞きまくりました。







大変為になりました。わたしがこういう勉強をすべきではないだろうか、と考えていた通りでした。その修習生がすごいのは、みんながやる答案練習を余りやらずに半年間ほとんど家から出ずに自宅に籠もりっきりで一日中勉強していたそうです。不安はなかったのか、と訊くと、不安を抱くのは損である、だからそんな無駄なことはしなかった、と。







更に訊くと、彼女の家は一家のうち4人が弁護士なんだって!!!







そういう家系ってあるんだよね~。







参りました。







 今日一日を振り返ると、彼女から話を聞けただけで大成功の一日でした。







あと、検察庁に行く前、同じクラスの男と福岡城跡を歩きました。城内では梅の花が可愛く可憐に咲いていました。うん、梅もまた良いですねー。派手さはないけど清楚で可愛らしい咲き方にしみじみとなりました。桜のような圧倒的なボリュームがなく控えめなのが良いんですよねえ。














2009年2月11日水曜日

黄砂に煙る街
















昼頃まで弱い雨。せっかくローにバイクで行こうと思っていたのに、出鼻をくじかれました。






午後になり雨がやんだのでやおら出発。と。なんだか街中がガスっているじゃあありませんか。ふ~む。これはモヤだな、でも昼過ぎにモヤが出るなんて妙ではあるなあ。なんて考えながら、ふと、それならば海は幻想的な風景になっているんじゃなかろうか、と海岸通りに迂回しました。まずまずの景色でした。






でも景色よりももっと驚いたのは、冬用の手袋をしていたら中が熱くなってしまい、とうとう手袋を脱いでバイクを走らせたのです。今までだったらとても信じられないことです。2月の中旬と言えば一番寒い頃ではないですか。






 マジ、地球温暖化が現実味を帯びてきました。我々の次の世代の人類ははたして生き残れるでしょうか。






 春休み、やるべきことが多すぎて欲張ってあれもこれもと思うと逆にどれも手が付かなくなってきつつあります。これではいかん、と、今週は倒産法に絞って突破口を築くことにしました。






 ところが明日、検察庁の見学会が。その後検事さんたちとの懇親会が夕方から。だんだん焦って来つつあります。足を地につけて、ゆっくり急ぐことにします。とにかく朝一の勉強を最重要ノルマにしなければ。

もう暑くて暑くて


ローには行ったものの、空気の悪さと蒸し暑さで早々に退散しました。


春休みが始まったばかりなのに若手がせっせと勉強していました。


途中天神のジュンク堂と辰巳に寄って欲しかった本をどっさり買い込んでしまいました。会社法の本はなんと6800円もするんです。けれども明治学院のローの先生が書いた本で、その先生は大会社の法務部長を長らく務めていた人なので、法律にも実務にも詳しく、しかもパワーポイントでまとめを図表化してくれているので分かりやすいです。やはり実務家の本は良いです。

今の気分はもう受験生です。昨年の今頃はローのことよりも引っ越しでてんてこ舞いでした。受験なんか先の先だと思っていました。けれどもあと一年で行政法と倒産法を得意科目にしなければならないと思うと身震いが出ます。
右上にある図解民事訴訟法という本は司法書士用の本ですが、なかなかの優れものです。
わたしはどちらかというと右脳人間タイプで、なんでもイラスト化、図表化、具体化しないと頭に入らないんで、そう言う本を探しまくります。最近は好みの本が増えてきて有り難いです。
そうそう、NHK爆笑学問で音楽の平均律のはなしが出ていました。同じ長さの弦を二等分すると音が1オクターブ上がる、とか、三等分したらファの音になるとか、すごく面白かったです。話のポイントは、西洋音楽が音を12の音階に揃えてしまったため多様性が失われた、というもの。
わたしが感心したのは、それを分かりやすく伝えるために、教授が音を色に置き換えて説明した点です。つまり、この世の色を12色だけで表現しようとするのは無理だ、自然界には無数の色が存在しているのだから、と。同じように音だって十二音だけじゃなくて一音と他の一音の間に無段階の音があるのだ、と。
色にたとえた瞬間、直感的に、ああわかった!と感じました。わたしはこういうのが好きなんです。勉強でもそのようなやり方をしないとすっきりと頭に収納できない質です。丸暗記がまったくできません。
というわけで、文字だけの本はもはや読めなくなってしまいました。


2009年2月9日月曜日

老い














































ばあちゃんの法事に行ってきました。春の陽気のもとで墓参りと法要と食事会。










ばあちゃんは曹洞宗でした。それで知り合いの曹洞宗のお坊さんに来てもらいました。父方は西本願寺なので、作法がかなり違っていて興味深かったです。特に感じたのは作法が厳格な様子で、なるほど薩摩の人間の好む雰囲気だなあ、と思いました。










先週偶然に女房とおふくろさんが親子で封切り中の映画『道元』を見てきてたので、坊さんにそのことを話してみたら?と女房に勧めました。そしたらその坊さんが喜ぶこと!なにせ自分とこの開祖さんが主人公の映画ですもの。しかもそんな映画を(失礼!)わざわざ見に行く人はそうはいないでしょうし、法事直前に見たというタイミングの良さも手伝って絶好の話題が提供できました。









 10年前に営まれた3回忌のときの写真が出てきて、今回と比べると、みーんな変わっていました。走り回って大騒ぎしていた子供達は大人になり、じーさんばーさんたちはもっとじーさんばーさんになり、腰は曲がり体は縮み耳は遠く目は見えず、10年という時間の残酷さにたじろぎました。哀しいですね。










 話変わって、これからの50日、自分の最も苦手とする科目をマスターするラストチャンスと覚悟して得意科目にしてお客さんが取れるような実力をつけたいと思います。




















 

2009年2月7日土曜日

油断




最後の科目、民法で大チョンボをしそうになりました。小問が三つ出たのですが、最初の小問で何が論点なのか、あまりに簡単すぎる問題だったので出てこなかったのです。というのは、抵当権という担保物権では土地と建物が同じ人Aさんの所有だったとき、土地、建物、そのどちらかでもまた両方にでも抵当権を設定したら、土地に地上権という建物がその土地の上に存在し続けられるための権利が自動的に(強制的に)成立するんです。これを法定地上権といいます。


法定地上権が強制的に作られる理由は、抵当権が実行されたとき、土地と建物の所有者が違う人になりますが、そのとき建物が土地の上に居続けることが出来る為の権利が必要になります。けれども元々土地と建物とは同じAさんが持っていたので民法はAさんが同じAさんに対して賃借権や地上権と言った土地利用権を設定することを認めておりませんから、抵当権が実行されて土地と建物の所有者が別人になったときは、建物の存立のための土地利用権が無いままになってしまいます。


そうなると、土地所有者は建物所有者に対して、オレの土地に勝手に建物を置くな、と言うことが出来て、結局建物を撤去しなければならなくなる、というとてもおかしなことになってしまうのです。


 そのため、民法は強制的に法定地上権ができる、と規定して建物のために土地を利用することが出来ることにしています。


 ということは、もしも土地がまっさらな空き地だったときに土地の上に抵当権を設定したときは土地の上にまだ建物は建っていないのですから、法定地上権を認める前提がありません。ですから、土地に抵当権が設定されたあとに土地所有者Aさんが建物を建てたときは、その後に土地の抵当権が実行されて別人が土地所有者になったときはAさんの建物のために法定地上権は認められません。


え?そうするとAさんは建物をどかさないといけなくなるの?そうです。そうなります。なんでかというと、抵当権者はこの土地がまっさらな土地だと、つまり価値が高い土地だと評価して抵当権を設定したのです。なのにそのあと建物が建ったときは土地の価値は相当下がってしまいます。これでは抵当権者にとても不利益です。ですから後から建てたAサンの建物は、どけと言われたらどかさないとなりません。


 そういう風に、土地がまっさらだった場合には法定地上権は認めることは出来ません。


 小問1はそう言う事例だったのです。ですからわたしの頭の中では、法定地上権なんか認められるわけがない、と当然のように考え、まったく無視してしまったのです。つまり、あまりにも当然なので考える必要も書く必要もない、とスルーしてしまったのです。


 それを、答案を小問3まで書き進んだときにハタッ!!!と気付いたのです。ヤッタ~!マズッター!!とあわてて自分の書いた答案に小さい字で書き足し埋め込む極めて難しいことをやらねばならなくなってしまいました。


 ほんと、冷や汗が出てました。


わたしがドジを踏んだのには理由があったんです。というのも、先生が壇上で答案におもしろ小話を書いた人には点数を上げる(正確には、かもしれないという接尾語もついていましたが)、なんてことを公言したんで、頭の中が急にそっちの方に言ってしまったのです。


 まあ、落ちる人はほとんどいないので大丈夫だし、結局はなんとか書き足したので零点になることはないでしょう。


 それにしても今回の期末テストではチョンボしかけたことがこれで2度目でした。多分、苦手の行政法と民事裁判実務のことばかりに集中しすぎたため他のことがおろそかになったのが原因です。


 来年の本番でこういう大チョンボをしたと想像すると、ぞ~っとしました。


平常心の大切さ、平常心が生まれるためにはイチローのように日々鍛錬していなければならないこと、を改めて反省反省大反省しました。


 終わってから5人で筥崎宮にある屋台、花山に行きました。みんなは行ったことがないようだったので。


この5人とは3月から会社法ゼミを一緒にするメンバーで、男3,女2,です。女性一人をのぞいて皆他県から来た人です。


みんな、せっかく福岡に来て居るんだから福岡の面白い場所を少しでも紹介してやろう、と思って連れて行きました。みんな、博多の屋台は初めてでした。


ま、連れて行って良かったかなあ、とホッとしました。


今日はこれから実家がある宇佐に帰ります。ばあちゃんの15回忌の法事があるんです。


帰ってきたらまたご報告します。  

2009年2月5日木曜日

あと1科目


なんか妙な気分です。ほとんど落ちないと分かっている科目の試験を受けるって。えっ?優を取れるように頑張れ?仰るとおりです。


でも、でもねぇ。先生達の採点の仕方がよー分からないんです。


というのは、今までの旧試験の答案練習会で、いわゆる優秀答案だったとしてもそれが必ずしもローでも優秀答案と評価されていないからです。


一体どう書けばローで優がもらえるのか、イマイチよく分からないのです。


前期試験でも、こりゃあかん、と思っていた憲法が優でした。その反対が商法です。可でした。あんだけ書いたのに。先生によって採点がまちまちなんです。しかも、おそらく自分の気に入った書き方をしないと良い点をくれないのです。客観的な採点が期待できないような気がします。


それから、実務家の採点もひどかったです。こちらは逆に形式的な要求が過剰です。もちろん実務家ですから法律をこれでもかというくらい堅く守りますし、学生にも要求します。ちょっとでも条文と外れるともの凄く減点します。


 どちらの先生達も、おそらく条文解釈とか論点掘り下げは余り好まれないのでしょう。逆に事案の分析をしっかりやって、確かにこの点はこうこうこうとプラスがある、しかし反対にこれこれとマイナスがある、だから総合するとこうだ、と事案の評価をしっかりやる答案が高く評価されるのではないか、と思われます。


 そうだとすると学者の教科書を読むのは無駄で、判例評釈、事例演習なんかで練習した方が良い、ということになります。


 実は今回の期末テスト、試しにそういうタイプの答案を意識して書いてきました。結果がどうなるか、楽しみが出来ました。


 残るは明日夕方からある民法のみ。今の気分は、盛り上がらないまま終わってしまったお祭りの後のつまらなさと寂しさ、みたいな感じです。


充実感がほとんどありません。もちろん行政法と民事裁判実務の要件事実だけは理解が深まってワンランクアップした感じがします。でもそれ以外の6科目は、なーんか微妙です。明日の民法はちょっとは担保物権の新しい考え方がわかりましたが、もの凄く役に立ったか、と問われると、う~ん~、です。


 そうなんです。結局、10月からの後期で為になった授業だったと思えるのがかなり少ないのが不完全燃焼の真の原因かもしれません。


 これでローの1年が終わってしまうのか、と思うと余計に鬱憤がたまりそうです。


 わたしが前から何度も書いたことですが、ローの授業の進め方はまことに不合理この上ないと思います。システマチックなところが全然無いのです。


計画的にその科目の修得をしていくといったものがありませんでした。行き当たりばったり、虫食い、基本を飛ばして各論の細かいところばかりやる、終わってみれば何も残っていない、そう言う授業がほとんどでした。


 なんか不平不満の大爆発になってしまいました。でも、もう来年5月が新試験だと思うと、実務家になったときに一人でやっていけるだけの実力を身につけつつ試験勉強もやる、という二本立てをあと1年3ヶ月でやり終えることができるのか、ローの授業が今のように手枷足枷という足手まといというか自分の目的にとって邪魔になるかも、と思うと、とても憂鬱になりました。


 正直、ローの授業は中途半端、どっちつかず、でした。自分の実力が上がったなあ、と実感できたのは自分で勉強したところだけのような気がします。


そう言えば我が校のモットーは『自学自修』でした。そうか!看板通りだったのか!ということは、それを知らずに入ったわたしの方が大馬鹿だったということでしょうか。


天神にある日本銀行です。立派な建物です。