2007年8月24日金曜日

オーパ!







開高健が、昭和50年代、月刊プレイボーイに連載していた、食と釣りの紀行文のタイトルです。



京都で下宿していた頃です。ページの大半が大自然や釣り上げた魚の迫力ある写真で、合間に文章が挟まっていました。アマゾン、モンゴル、アラスカ、などへの巨大魚釣りの体験記で、とりわけ今でも記憶に残っているのは蒸し暑いアマゾンで釣った大ナマズと寒そうなモンゴルでの釣行です。



砂漠しかイメージになかったのに、森と急流があるので、へーっ、モンゴルにこんなんがあるんか、と驚きました。



それと、たしか金沢の旅館でカニを黙々がつがつしゃぶっている写真。



わかりました。



わたしのブログ願望の元が。でっかい写真を主人公に、きりりとした短文が脇を締める、開高健のあのオーパの作り方だったことが。



 このブログは、写真も文章もちゃちで、とてもとても開高健に及びません。しかし、コメントを書いてくれる方々が参加してくれ、みんなで作り上げる共同作業ができることにおいては開高先生に勝てると思います。



 写真は、近所にある西南学院大学そばの元寇防塁跡です。今話題の朝青龍や、先ほどのモンゴルから連想して、この前撮ってたのを思い出したものです。



 わたしの住んでいる鳥飼という地名、近所にある塩屋橋、300メートル西に行ったところにある祖原山、どれも竹崎末長の蒙古襲来絵詞に載っている地名です。特に祖原山には元軍の陣地があって、竹崎は単騎、駆け上がって戦を挑んだとされています。



 730年前、ここで日本存亡の戦があったと思うと、ぞくぞくします。



追: 朝青龍は絶対に仮病だと思います。精神科医たちは本当に専門家なのでしょうか。モンゴルの友人には頻繁に電話で普通に話しをしているらしいじゃありませんか。それに、医者にむかって一言もしゃべらないのであれば医者はどうやって診断するのでしょう。疲労骨折はどこに行った?外科医はなぜ診察しない?



 また、北の湖理事長も職責を全うしていない、高砂親方も親方としての仕事をしていない。



朝青龍へのいじめだという人もいる。けど、中学生ならともかく、いじめられて引きこもりになるような玉か、とにかく土俵での態度振る舞いに品位を全く欠く横綱は、もういらない。



みなさん、どう思います?



追追:このブログには動画を載せることもできるみたいです。デジカメの動画機能を活用してそのうちチャレンジします。なにかリクエストがあれば。






2007年8月23日木曜日

ありがとう佐賀北











 決勝戦、見ませんでした。どうせ広陵に負けるに決まってる。決勝戦まであがってこれただけで十分だ、と。

 試合終了後にNHKの解説者が話しているところからテレビをつけました。

 その解説者が言うには、終盤8回ワンナウト、走者無し、4点差という絶望的状況のもと、久保君が三遊間を抜けるヒットを打ったときに、鬼のような形相で一塁まで走り抜けた。タダのシングルヒットにすぎないけれども、決して試合をあきらめていないんだという決意が体中からほとばしっていた。自分はその光景を見て鳥肌が立った、なにかが起こるのでは、と思った、と。

 あきらめずに努力する、言い古された言葉だけれど、現実に目撃すると、やはり圧倒されます。

 前年、県大会1回戦で敗退した普通の生徒たちが、ひたむきな努力で翌年全国大会で優勝するなんて、しかも、キャプテンが、スタンドが自分たちを後押ししてくれた、と言ったとき、なんて素晴らしいやつらなんだ、と、涙が止まりませんでした。

月並みですが、自分も努力せねば、と、恥じ入りました。


追: 極東軍事裁判のパール判事についてのNHKの特集があり、自分の受けた教育が正しくなかったこと、疑うことを止めると人間だめになる、ということに、また恥じ入りました。


写真は、きのうの午後の夕立の後、優勝を祝うかのごとく博多湾に虹が架かった様子です。今朝も4時頃凄い通り雨が降って、目が覚めました。




 




2007年8月22日水曜日

法学既修者試験







成績表が到着しました。



まあまあというところです。



驚いたのは、刑法。毎年旧試験の択一刑法にやられているのに、



今回は、全受験者3116人中88番、偏差値なんと67,5ですよ。



きっと、日弁連は今までの択一刑法に対してアンチテーゼを提起



するつもりなんでしょう。知識中心の出題でしたから。



つまり、今の受験生はどうも刑法の知識が足りない、しかし、ゲーム



に強い、ということであり、わたしはその逆だということなんでしょうね。



ということは?



わたしは逆に旧試験択一刑法に合っていないということなのか、来年もまた刑法でやられてしまうのか。



複雑であります。



ま、どっちにも強くなれ、ということですね。






それと、訴訟法、商法は、意外にレベルが高く、条文の知識の足りなさを痛感、逆に行政法は基本問題が多かったです。



 最近、夕立がよく降るようになってきました。季節が変わりつつあるのを感じます。



写真は、秋めいた雲と夕立風景、それに、先日聴いた三洋信販コンサート後の様子です。



福岡工業大学の吹奏楽アンサンブルは本当に良かったです。

2007年8月20日月曜日

驚き
















その1





辰巳にむかう途中、ホークスの斉藤和巳投手夫妻とすれ違う。





顔は小さく、肩幅が異様にでかい。





その2





辰巳で今年の新司法試験の刑事系の解説無料講義を聞きに行ったところ、





講師は、元司法研修所教官だった。あちら側の採点の着眼点がよーくわかった。





あちらの業界で支配している思想は、世間の常識と一応の理屈と判例の規範の因って出てくるところの理由付け。





その3





夕方、三洋信販本社内で、1時間の無料コンサート。福岡工業大学の吹奏楽アンサンブル





14人。とても良かった。チューバの低音、それに特別参加のクラリネットの音色の良さ、低音から





高音まで音域もひろく、表情が豊かな楽器だなぁ、と感心。





その4





午前中、猛烈な通り雨、30分間ただならぬ降り方。





今日はこんなところであります。





夜、女房の実家から自転車で我が家へ。20分間のサイクリング。ときどき、ちょっとだけ涼しい風が





体中の汗をとばしてました。





写真は福岡タワーのイルミネーションと、その裏のマリゾンのベンチの様子です。





夏の終わりの始まり











なんとなく暑さの中に秋めいた兆しを感じます。




前回、多くの方々からコメントを頂戴して、大変うれしく思いました。




そこで、もっとがんばっておもろいことを書こうとしましたが、頭が




空っぽでいくら振ってもがらがらぽん、なにもでてきましぇ~ん。




 そういうときは、写真でカバーせねば。




というわけで、百道の海水浴場、マリゾン(いずれも我が家から自転車で10分)




の様子を、昼バージョンと夜バージョンでお届けします。




夜景撮影の腕前が少し上がりました。三脚とシャッターなし、タイマー活用で。








追:箱崎のK氏からのコメントで、チャコの表情についてとてもユニークなご意見を




頂戴し、チャコの内面まで見通した観察眼に感服しました。

2007年8月17日金曜日

お盆2











今日も酷暑です。少し夏ばて気味で、水分ばかりとってます。




さて、お盆は田舎に一泊だけしました。




でも、よく働きました、夫婦共々。




とりわけ、物置に据えてあるブリキでできた巨大な米入れに、虫が大量発生していて、




80キロ以上ある米をすべて庭にむしろを敷いて乾しました。




親父が皆の反対を押し切って巨大ブリキ缶に米を入れてしまったのが間違いの元。




初めから米袋に入れたままにしておけば虫がわくこともなかったのに、と、家族全員




から非難され続けていたので、米をすべて缶から出して乾しあげたので、親父は




ほっとして上機嫌でした。ブリキ缶に米を入れて保存していたのは大昔の風習で、親父のノスタルジー




にすぎなかったのです。




しかしその作業は大変で、その後2日間、股関節ががきがき言ってがに股歩きしかできませんでした




米を袋に詰めて運ぶのが重労働だったのです。




写真は、宇佐の田舎の様子。今回は面白いネタがなく、イマイチで失礼しました。




追: 以前、日田の祇園祭会館に展示してた昔の写真の中に子供の頃の自分ないし兄貴が写っているのを載せました。
その絵が写ったデジカメの液晶画面を親に見せると、一番上の兄だ、とすぐさま答えました。 兄は小さい頃結核性小児麻痺にかかり、右足にギプスをしていたのです。小さな画面をよく見えない目でぱっと見るなりすぐわかるなんて、さすが親だなあ、と感心しました。
追追: 女房のもんぺ姿、好評でした。 チャコにほねっこをやろうとたところ、困惑気味でした。
    一番上の写真は、14日夕方、凄い夕立が来たときのもの。




2007年8月16日木曜日

お盆1











里帰りしてきました。




途中、女房の里、田川に寄ってきました。博多駅を朝6時40分発のJRで。




田川まではJR篠栗線に乗り、新飯塚で田川後藤寺線に乗り換え、船尾駅まで。計1時間余。




田川は炭坑と石灰の街。麻生セメント、三井セメントなど、良質のセメントが採れます。




五木寛之の青春の門に出てくる、有名な香春岳も、山全体が石灰岩なため、すっかり削り取られてしまい、




山が消滅、台地になってしまいました。




セメント工場近くでは、微細な粉塵のため、肺が弱いわたしは、すぐに息ができなくなってしまいます。




ただ、セメントも不況で、廃屋が目立っています。




博多から田川まで50キロ、田川から宇佐まで65キロ、田川に一足先に帰っていた女房とともに




今度は車で宇佐へ。




以下次回。