2007年8月31日金曜日

なんとか




下書きまではできました。もだえ、のたうち回りました。朝4時までかかったため昼間はゼラチンのようにふにゃけてしまい、全く頭も体も動きませんでした。


机の中を整理して、かつての論文受験票(西南ローだけは提出可)を探していたところ、


亡霊のように昔の写真が現れてきました。太って、無邪気で、あほな自分が写っていました。




今朝は、たっぷり雨が降り、家の中でジトーっとしていましたが、


夕方、止んだので、姪浜にあるコーヒー量り売り店までひとっ走りしてきました。


写真は、姪浜の旧道、おそらくこの道を通って、豊臣秀吉は唐津の名護屋城へむかったのでしょう。


今は、シャッター通りに没落。


姪浜には漁港があり、港に流れ込む川沿いに漁船がずらりと繋留されています。


このへん一帯は、ちとガラがよくないです。


半年前、バイクでこの通りの四つ角で、ヤンキーガキの乗ったクラウンが、傍若無人な曲がり方をして大迷惑を掛けているのに遭遇しました。にらみつけてやりました(そんだけ)。




2007年8月29日水曜日

苦悩











志望理由、自己推薦って、本当にしんどいです。




特に、年齢が大問題。




この年になって、というか、なぜこの年までかかっているのか、




自分自身と向き合うことをサボっていたツケが回ってきました。




でも




その分財産をこしらえた、と、逆転の発想をして、前向きに進むしかない、




とも思います。




どうせ書かなければならないなら、とことん自分の思いの丈を書きつづる




ほうがスカッとするから、ガンガン書きまくってやろうと思います。
写真は、手持ちの残りです。
下の方は、女房の実家近くの様子、鳥居は、住吉大社。
筑前一之宮で、社格が高く、大阪の住吉大社の本家です。
海の神様です。
いまは、こじんまりになってしまいました。




2007年8月28日火曜日

皆既月食





見ましたか?
わたしは、終わりがけを見ました。8字44分頃でした。
思えば、浪人中の10月、外にむしろを引いて、
その上に仰向けになって月食を見ていたら、
父親から、『下らんことせんで勉強せんか』と、殴られました。
不条理さに悔しくて涙を流しました。浪人中というそれだけで、
なんで月食を見ようとしただけで殴られにゃならんのか、
月食と聞いただけで今でもあのときの情景が勝手に浮かびます。
おまけに、引き金になったのは、上の兄が先に口火を切って、
見るのを止めて勉強しろといいはじめたことです。
 今思うと、我が一族にはロマンがないなあ。
自然科学への憧れをもたない、低レベルの文系一家だったんだなあ、ということです。
人間がいかに小さい存在かを実感すること、
また、そうであるからこそ逆に人間は愛おしい存在なのだ、
ということがわかるのではないでしょうか。
 あるいは、月食という巨大スケール現象が、
そのときのわたしや父親、兄貴、皆を狂わせたのかもしれません。
我々はそれを自覚してなかっただけかも。
ルナティックという言葉の、気が触れる、という状態に全員が陥っていたのかも。
所詮私たちはお釈迦様の掌の上に載せられている悟空にすきないのですね。
写真は、大濠公園の夕暮れ、そして、10枚以上撮った月食写真のなかで唯一うまく撮れた1枚です。


2007年8月27日月曜日

中州慕情











はまやんさんからのリクエストにお応えできたでしょうか。




ここのところ、ロースクールの願書作成、とりわけ、志望理由書自己推薦書を書くのに嫌気がさしています。




というのも、自己分析、自己反省を伴うので、過ぎ去った年月がどっどどどどぅどどどぅどどうどと、又三郎ではありませんが、押し寄せてくるからです。




本当に、きついです。




ロースクール側にしても、さっさと面接をして根掘り葉掘り聞けばいいじゃないか、と思うんです。どうせみんなステイトメントの虎の巻を写すだけだろうに。




自分の性格上、ひとと違うことを書きたいという、あまのじゃく根性がもぞもぞと顔を出してしまうので、余計に書くのがしんどいです。他人がどう書くのか、自分が書きたいことはなにか、よく考えると、あんまりないからです。




余談ですが、もぞもぞ、とか、だらだら、とか、オノマトペを多用することを、三島由紀夫は嫌ったそうです。表現がワンパターン化するからだそうです。金田一先生によれば、オノマトペの使用は、日本語の動詞が貧弱なため、それを補うためだそうです。




翻って自分の駄文をみると、結構多いです。反省。








写真は、国体道路から見た那珂川沿いの、夕方6時半ころの夕景。




ゆく夏を惜しむように、月曜日だというのに大勢がそぞろ歩いたり、屋台ラーメンの行列をつくっています。




立ったまま順番待ちをしている間、少し涼しくなった川風に吹かれて、みんな夕暮れの風情を味わっているような表情でした。

2007年8月25日土曜日

動画テスト2

今度は4メガの容量の動画、音声付きです。アップするのに3分半かかりました。
で、写るのは3秒。しかも画面拡大できない。
結論、満足度は、、、、、。動画ブログも、やろうと思えばできる、てなレベルでしょうか。
ただの自己満足で終了、また今まで通りに戻すつもりです。

動画テスト1

成功するか。

2007年8月24日金曜日

オーパ!







開高健が、昭和50年代、月刊プレイボーイに連載していた、食と釣りの紀行文のタイトルです。



京都で下宿していた頃です。ページの大半が大自然や釣り上げた魚の迫力ある写真で、合間に文章が挟まっていました。アマゾン、モンゴル、アラスカ、などへの巨大魚釣りの体験記で、とりわけ今でも記憶に残っているのは蒸し暑いアマゾンで釣った大ナマズと寒そうなモンゴルでの釣行です。



砂漠しかイメージになかったのに、森と急流があるので、へーっ、モンゴルにこんなんがあるんか、と驚きました。



それと、たしか金沢の旅館でカニを黙々がつがつしゃぶっている写真。



わかりました。



わたしのブログ願望の元が。でっかい写真を主人公に、きりりとした短文が脇を締める、開高健のあのオーパの作り方だったことが。



 このブログは、写真も文章もちゃちで、とてもとても開高健に及びません。しかし、コメントを書いてくれる方々が参加してくれ、みんなで作り上げる共同作業ができることにおいては開高先生に勝てると思います。



 写真は、近所にある西南学院大学そばの元寇防塁跡です。今話題の朝青龍や、先ほどのモンゴルから連想して、この前撮ってたのを思い出したものです。



 わたしの住んでいる鳥飼という地名、近所にある塩屋橋、300メートル西に行ったところにある祖原山、どれも竹崎末長の蒙古襲来絵詞に載っている地名です。特に祖原山には元軍の陣地があって、竹崎は単騎、駆け上がって戦を挑んだとされています。



 730年前、ここで日本存亡の戦があったと思うと、ぞくぞくします。



追: 朝青龍は絶対に仮病だと思います。精神科医たちは本当に専門家なのでしょうか。モンゴルの友人には頻繁に電話で普通に話しをしているらしいじゃありませんか。それに、医者にむかって一言もしゃべらないのであれば医者はどうやって診断するのでしょう。疲労骨折はどこに行った?外科医はなぜ診察しない?



 また、北の湖理事長も職責を全うしていない、高砂親方も親方としての仕事をしていない。



朝青龍へのいじめだという人もいる。けど、中学生ならともかく、いじめられて引きこもりになるような玉か、とにかく土俵での態度振る舞いに品位を全く欠く横綱は、もういらない。



みなさん、どう思います?



追追:このブログには動画を載せることもできるみたいです。デジカメの動画機能を活用してそのうちチャレンジします。なにかリクエストがあれば。