2009年1月31日土曜日

書き直し3度

毎日、途中まで書いては中断し、結局一つも完成できませんでした。


きっと気分が落ち着かず、いらいらしていて集中していないからでしょう。



もちろん、その原因は行政法と民事裁判実務にあります。何というか、行政法に関しては科目全体の地図が見えない、民事裁判実務に関しては、要件事実のOS、基本となる考え方がまだ確信を持てないでいるのです。
そうこうしている内にもう明後日から試験開始。しかも初っぱなが行政法。
中間テストで平均以上取れたのが、記憶を辿る思考を止めてその場で考えたからなので、今度も同じようにしなければ。とすると今は知識を詰め込む時ではなく基本構造を把握することが大事だ、と自分に言い聞かせてだましだましやっているところです。

そう言うわけでして、水曜日までちょっとお休みさせていただきます。水曜日に民事裁判実務の試験がありますので。
終わったら行政法とともにご報告します。

もちろん、段々分かっては来ています。けれども、よ~し、これで良い、という段階までには到底達していないのです。

2009年1月28日水曜日

質問タイムとリンゴ















後期授業はほとんど終わりましたが、オフィスアワーと言って、先生に質問できる時間は残されています。それで苦手の民事裁判実務(中身は要件事実論と民訴)の質問をしてきました。先生は裁判官教官。優秀です。すごく優秀です。真面目です。ちゃめっ気もあります。でも学科の内容のこととなると鋭いです。丁寧な物言いの中に厳しさが籠っています。私の前に質問していた学生に対しては、『それは条文に書いてあるでしょ!』とぴしゃっと言い放ちました。条文くらい読んどけ、条文に書いてあるような質問なんかするな、というお叱りの心が含まれていました。とにかく実務家は条文に強いです。というか、条文依存症と言ってもいいほどです。








 わたしはそれを聞いて、あ~質問なんかしに来るんじゃなかった、と後悔しました。でも、ここで分からないことを聞いておかないと試験で落とされてしまう、そっちの方がもっとヤバいと思いなおしました。








 で、2点ほど質問しました。!と気づいた点もあり、訊いてよかったです。とにかく細かいんです。テストの問題は。しかも落とし穴がたくさんあって民訴の細かい条文をしっかり理解暗記しておかなければならないんです。と同時に、要件事実と言って訴訟の現場で原告と被告がそれぞれ相手に対してどういう主張を言うか、それをどのような表現で訴状や答弁書に書くか、というイヤな問題もあるんです。








民法通りでない、というところがイヤラシイんです。昨年も優秀な学生が何人もこの科目で落とされています。民法が得意な人に限って危ないんです。どこが民法通りでないか、というと、できる限り無駄を省いた主張をせよ、余計な事を書くと減点または零点、けれどもそれらは民法上は必須な事柄なんです。ですから、民法だと必ず取り上げなければならないはずの点が要件事実では逆に取り上げてはならない、というところが多々あってそれが大変なんです。








 何で余計なこと、ダブるようなことを嫌うか、というと、訴訟は迅速に明瞭に進めなければならないからです。混乱したり無駄が多いと争点がぼけるしわざと審理を遅らせる輩もいて権利救済が図られなくなるからです。そしてまた、ある問題点について、原告と被告のどちらに主張させた方が公平か、審理が進むか、ということが訴訟上重要だからなんです。







 







それはさておき、今日女房の実家で晩御飯を食べていて、所さんのダーツの旅を見てたら、りんごジュースで脳梗塞予防効果が出るわ、血糖値は下がるわ、頭の毛がどんどん生えるわ、と良いことずくめの報告が。







猛烈にありがたいニュースでした。全部気になっているのです。そしてなんと、わたしは毎日リンゴを1個皮ごと食べているので、わが意を得たり、の気分でした。その研究者の先生がいみじくも、林檎ほど高貴で気高い果物はない、とおっしゃってました。大大大賛成。若いころは好きではなかったのに、今では毎日食べないと体に老廃物というか毒性物質がたまるような気がするんです。ローに持って行って、本を読みながら一切れ口に入れて奥歯でジュワーっとかみしめると天然果汁がほとばしるのです。一気にリフレッシュします。







 おいしいリンゴを作ってくれる青森岩手山形長野のみなさん、ほんとにありがとう。

今日は暖かくて春の予感がしました。去年の春撮った桜を思い出し、再掲載しました。春よ来い。









 








答案













みんなで民法の問題の答案作りを分担してやりました。その後二人で(相方はもちろん男です)みんなの書いた答案を検討するゼミをやっています。自分の書いた答案のアラは自分ではなかなか気付きませんが、他人が書いた答案は不思議とアラがすぐ見えます。なんででしょう。






今日の刑訴、予想どおり当たったのですが、超簡単な質問でした。2秒で言い終わることができる、ショートアンサー、しかも答えがテキストに載っているという馬鹿みたいな質問でした。授業後、前に座っていた学生から冗談半分嫌味を言われるくらいでした。






その後の民事弁護では不法行為の被害者の貰う逸失利益に関する判例を15個、先生がどんどん当てて聞きまくりました。幸いわたしは当たりませんでしたが、当てられた学生は全員完璧に答えていました。スゴイ、と思いました。












いろいろな面白い判例があります。たとえば、交通事故の被害者がむち打ち症にかかったのですが、損害賠償を請求したところ、加害者がこう言うのです『むち打ち症になったのは被害者が異常に首が長いからだ、だから被害者にも(首が長いという意味で)落ち度がある、だから過失相殺して賠償額を減らすべきだ』と。最高裁はもちろんはねつけました。






 また、夫婦が乗った乗用車が交通事故を起こし、対向車の運転手と夫婦の車を運転していた夫の両方に過失があった場合、助手席に乗っていてけがをした妻が対向車の運転手に損害賠償を請求した場合、夫の過失を取り入れて夫の過失は妻の過失と同じだとして過失相殺を認めました。理由は、夫婦は財布が一緒だから、です。






 若干引っかかる判例もあります。4歳の男の子が交通事故で亡くなりました。その子の親は、子供が67歳まで働いたら得ることができたであろう収入(これを逸失利益といいます)をまずその子自身が損害賠償請求権として取得し、その請求権を親が相続します。






 問題となったのは、親にとってはその子が亡くなってしまった以上その子を養育するために必要な費用(養育費)はもはや支出する必要がなくなったのだから、その支出分は損益相殺すべきだ、との加害者側の主張が認められるか、です。
最高裁はこれを認めませんでした。たとえばその子の逸失利益が3億円だったとします。その子が67歳まで働いたら獲得できたであろう利益が3億円ということです。その額から、その子自身が成人後67歳まで支出するであろう生活費(食費や住居費など、仮に1億円とします)はさっぴきます。この時点で3-1=2億円残ります。では親がその子が独立するまでの養育にかけたであろう養育費(子供の生活費や授業料学費など、仮に5千万円とします)も更に差し引くべきか、2億ー5千万=1億5千万円に減らされるのか、です。






最高裁は、このような子の養育費は差し引かない、としました。難しい言い方をすると、利得と損失とに同質性がないから、と言いました。ぶっちゃけて言うと、親にとって子供を養育するのは費用なんかではなくてむしろ喜びなのであり、加害者はそういう、子供を養育する喜びを親から奪ったのだ、だから5千万円の支出が防げたのではなくて5千万円出して子供を育てる喜びが失われたのだ、と言いました。 これには反対する学者が結構います。






 と、こんな感じの授業を延々とやってきたわけであります。












写真は昨日の遺棄罪のテキスト(白鳥祐司北大教授)から抜粋しました。






白鳥先生は無罪説です。






今日学食で食べてたら東欧風美人が一人で器用にラーメンを食べていました。カッコ良かったです。






2009年1月26日月曜日

雪幻想2




今日は雪は舞うものの、積もるようではありませんでした。次第にみぞれに変わりました。ローに行くと昨夜の幻想風景は消滅していました。


 刑訴の択一的認定というところの判例をたくさん調べなければなりません。また、民法でも不法行為の逸失利益の判例を15個ほど調べ上げないと。


もうすぐ後期試験だというのに、明後日の最後の授業では判例がてんこ盛りで聞かれます。


みなさんにお尋ねします。刑訴の問題です。次のようなケース、あなたならどう答えますか?


Xは、その妻Yと、札幌市内で2月下旬、雪の積もった道路の雪かきのため除雪車で除雪作業をしていました。運転していたのはXです。時間帯は夕方6時以降の日の暮れた後です。


その除雪車でXが除雪していたところ、知らないうちにYを轢いてしまいました。数時間後XはYを轢いてしまったことに気づき、Yを雪の中から掘り出しました。そのときYの体は冷たく冷え切っていました。XはYが死んでしまったものと思い、自分が轢いたことを隠そうと、他の車で轢かれたように偽装するため、Yの体を通行量の多い道路まで運び、その道ばたにYを放置して逃げました。


その後Xは逮捕されたのですが、その後の鑑定の結果XがYの体を放置した時点では実はYがまだ生きていたかもしれない、という可能性が生じました。


そこで問題です。あなたならXをどうしますか。①生きているYを厳寒の街路に捨てたのだから保護責任者遺棄罪が成立する、②いや、死んでいるとXは思ったのだから、法定刑が軽い死体遺棄罪が成立する、③いや、どちらも成立せず、不可罰となる。


面白いご意見をお待ちしています。





2009年1月24日土曜日

幻想と恐怖







猛烈な大雪。怖ろしくたくさん降っています。車を走らせるのが恐かったです。



他の車もバスもみなおそるおそるじわじわ走っていました。女房の実家から我が家まで都心を通って約6キロ。途中、桜坂という坂道を通るのですが、今夜に限って避けました。遠回りして平地の交通量の多い道路を通って帰り着きました。相当神経を使いました。



 夕方ローから出ると真っ白け。しかも大粒の雪がどんどん天から降りてきているじゃありませんか。道路の反対側に文系キャンパスがあるのですが、そこに行ってみると誰もおらず、雪だけが音もなくしかしどんなもんだとでも言いたげに力強く降っていました。



 こんな大雪、何年ぶりでしょう。多分明日の朝はとんでもないことになっているでしょう。



 しかしカメラ好きのわたしにはネコに鰹節、でした。雪のキャンパスの余りの美しさに感動しまくりました。



 みなさんの感想をお待ちしています。



 

2009年1月23日金曜日

憲法判例

三菱樹脂事件という、有名な最高裁判例があります。学生運動をしたことを申告しなかったことを理由に3ヶ月間の試用期間後本採用を取り消されたことを争った事件です。企業は学生に対して思想信条の申告を求める権利がある、と言いました。これを言ってしまった点で我が国の最高裁判例の中でみっともないものの一つになってしまいました。それ以外はかなりまともな内容なんですけど。問題はなぜ企業は学生に対して思想信条を申告させる権利を有する、と最高裁は言ってしまったのか、です。


受験生なら誰でも知っているはずの判例なんですが、恥ずかしながら第1審から最高裁まで全部の判旨をじっくり読んだのは今回が初めてです。



ローに入ってから分かったのですが、判例というのは裁判所が何も見ずに聞かずに一人で勝手に作る物ではなくて、原告と被告の主張の応酬の果てに出来上がった判断であり、その意味では当事者の応酬の仕方にずいぶんと左右されるものなんです。第一審からの当事者の主張反論、それに対して第一審裁判所がどう応えたか、を控訴審、最高裁と、順に作り上げていく、時間と労力をかけて出来上がるものなんです。しかもどちらも真剣に渡り合うので膨大な量の文章になります。それをちゃんと読むというのはとてもしんどい作業です。



おまけに最高裁は巧妙な理屈を立てますから、よくよく読まないとはぐらかされたり迷路に陥ったりします。ですからとても疲れます。



で、憲法も行政法もそういう判例づくしの科目なので、もう勘弁してくれと叫びたくなります。


さきほどの三菱樹脂事件は、内容的にはただの労働事件で、本来憲法問題にならないはずだったのです。


ところが前審の東京高裁が(すなわち高裁での当事者の争い方が憲法論にしてしまったためですが)憲法19条の思想信条の自由が学生にある、したがって思想信条を理由とする本採用拒否は憲法19条に反して無効だと言いました、というか、言っちゃってしまいました。


この高裁判決が虎のしっぽを踏んづけてしまったのです。


高裁判決をそのまま通してしまったら日本中の大企業は赤ヘルや共産党員の学生をいやでも雇わなければならなくなるからです。


その点第一審は、ただの解雇権濫用だ、とだけ判断したので、どういう場合に解雇権濫用になるかは個々具体的ケースにおいてあらゆる事情を総合して判断すれば良かったのです。そのさい学生が共産党員だったのか否かは従業員の資質とは関係ない、とさらりと言っておけばよかったのです。



それを東京高裁が大上段に構えて企業は学生の思想信条の自由を侵害してはならん、と大見得を切ってしまったのです。それで最高裁は、いやそうではない、と真逆のことを言わざるを得なくなってしまったのです。



そういう風に、裁判というものは生ものなんだ、決して論理必然に論点が出てくるという学問的なものではない、と言うことがよーく分かりました。



今日でその憲法の授業と、苦手な行政法の授業が終わりました。しかしこれからが大変です。試験対策が待って居るんです。後期だけで200個以上の判例を復習しなければならないでしょう。

 これから大寒波が押し寄せてくるそうで、きっとロー内も寒くなるでしょう。

仕方なく自宅でやらざるを得ないことになりそうです。




























透明性と法の支配





ワシントンのスタッフの昇給停止

2009年1月21日水曜日

一人の人間に世界中が


狂喜し興奮する、滅多にない光景を目にしました。


オバマオバマオバマ、、、ありとあらゆる国と地域の人々がテレビの中継に釘付けとなりました。あのケネディの時よりすごいです。


ワシントンの連邦議会前の噴水とオベリスクの建っている公園がまるでCGを使ったかのように人間でびっしりと埋まっていました。信じがたい光景でした。


ブッシュ時代がいかに酷かったか、の証明でもあります。


 半分黒人である有色系から大統領が選ばれたのですから、WASPのアメリカではありえない絵空事が現実になったわけです。


 なにもかもおっそろしく非現実的な一日でした。20世紀末に起きたソ連の崩壊、ベルリンの壁打ち壊しに迫るかのごとき大事件です。


 キング牧師以来、アメリカ黒人の夢だった黒人大統領がとうとう本当に実現したのですから彼らが大泣きするのももっともです。


 でもオバマさんは人種のことを何も言わず、一人のアメリカ人として国民に対して責任を果たせと迫りました。人種間の対立を煽るようなセリフはまったく言いませんでした。その代わりにアメリカ国民全員がなすべきことを為せ、と要求したのです。厳しい言葉ですが、彼のその言葉によってアメリカ人達の背筋がピンッと伸びたように見えました。どうもアメリカ人の資質が一段上がったようです、たった一人の人間によって。


 それにしてもカッコイイ男です。グレゴリーペックが映画で演じた優しき正義漢そのものではありませんか。あるいはジェームズスチュワート演じる上院議員にも似ています。でもやっぱりグレゴリーペックですね。


 ある先生が言ってました。何人ものアメリカ人弁護士に『君は何故弁護士になろうと思ったのか』と聞いたところ、例外なくグレゴリーペックの『アラバマ物語』を見てグレゴリーペック演じる主役の弁護士に強く惹かれたからだ、と答えたそうです。オバマさんもきっとそういう人なんでしょうし、これからはご本人が惹かれる対象になりました。


きょうのリーガルライティングの授業、先週もだえ苦しんで書き上げた課題が返ってきました。B評価。ううう~、なんたることを!この力作が目に入らぬか、無礼者。と恨みました。

しかも、先生の授業内容はわたしが確信した内容と寸分違わぬもの。余計に腹が立ってきました。

最高裁の論理は支離滅裂である、と課題にきっぱり書きました。先生も授業で同じことを言いました。なのにろくに深く考えずに最高裁判旨を丸写ししたヤツのほうが点数が高いのって、おかしくないですか?

 頭に来たので授業後自分の書いた課題をもう一度先生に見せて抗議すべし、と構えていたのですが、わたしの前にすでに三人、質問しようと並んでいます。10分待ちました。でもまだ並んでいます。結局あきらめました。先生を恨むことよりも自分の意見を分かりやすく伝えることが出来なかったことを反省すべきだということに思い至ったのです。謙虚になれ、バカ者、と自分を叱りました。
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