2009年5月11日月曜日

択一試験






















今年は妙に易しかったのだそうです。西南大学が試験会場で、わたしはローから慌てて自宅に戻り、そこから早足で西南大学まで、14分間。試験が終わるのが午後5時、わたしが汗びっしょりで着いたのが5時3分。まだ誰も会場から出てきていませんでした。







と、建物からぞろぞろと受験者たちが出てきました。そこには沈黙しかありませんでした。ウキウキしている人は皆無。若者も若干いましたが、メインはおっさん連中。白髪姿が多かったです。ツルツルも。







福岡の受験生は1000人ちょっと。その中から択一合格は100人を切るでしょう。悲惨な試験です。







何人か知り合いと話しましたが、結局総勢5人で打ち上げ。この光景はもう何十年も変わりません。中の一人、O君は飲み始めてしばらくするともう沈没。相当きつそうでした。







来年の今頃はわたしも新試験直前かと思うと、身が引き締まります。







自宅に辿り着いたのは夜10時ころ。さすがにわたしもバタンキューでした。














 今日の授業では、40分近くわたしともう一人とが集中的に先生から質問攻めを受けまして、これまたへとへとになりました。







刑事弁護論という授業で、上田先生という有名な弁護士が教官です。お題は本庄市保険金殺人事件の弁護人に対する検察官からの懲戒請求事件です。







昔有名になった、愛人を何人も囲ってパブをやらせ、彼女らを支配し、競わせてしまいに客にトリカブトや風邪薬を大量に飲ませて殺した(無理矢理自殺させた)事件です。男はマスコミの取材に対して自分の経営するパブで有料記者会見を毎夜開いていました。







で、弁護人が拘置所内にいる共同被告人から彼の書いたノートを受け取ってもう一人の愛人だった被告人に渡したことが、証拠隠滅や虚偽の供述のそそのかしにならないか、と言う問題でした。







 わたしは弁護人はどんどん渡して良い、という説、もう一人の当たった学生は、いや弁護人はそんなモノを受け取ってもう一人の被告人に渡してはならない、と言う説。先生は私たちに両説の見地からそれぞれの主張と相手に対する反論を言わせたのです、授業中、みんなが聞いている中で。それが30分以上続き、そのあと先生はわたしだけに向かってまたしてもいろいろと突っ込んできたのです。







なんでオレだけこんな目に合わなきゃならないんだろう?不思議でしょうがなかったです。それくらい授業の前半はほとんどわたしがしゃべっていました。







 ただ、一点、口から出まかせ的に無意識にわたしの口から出たセリフに先生は激しく反応されました。そしてわたしのしゃべったことをそのまんま黒板に書いたのです。えっ!これはしまった!まずいことを言ってしまったかも、とわたしは動揺しました。先生はわたしの言ったことを書いてそれでわたしをジクジクといじめるつもりだな?と思ってしまいました。一体いつまでオレをいたぶったら済むのだ?でももうよか。なるようになれ、だ。しかしまあなんで40分間もオレばっかり当て続けるのかなあ?と頭の中は後悔とあきらめと、でもなんとか食い下がってやる、ギブアップ宣言だけはせんぞ、という腹をくくったところもありました。






 と、先生は、「さきほどAさんが極めて的確に言った言葉ですが、、、、」と、なんとなんとわたしのセリフを高く評価してくれたのです。我が耳を疑うとはこのことでした。瓢箪から駒でした。ああ、これでこの40分の苦闘が報われた、と内心でガッツポーズしました。といっても本当にまぐれ当たりだったんですけど。












その授業の後は、レビン先生の調停技法が2コマ連続。こちらは段々と面白くなってきました。実際に調停の練習を学生同士グループ分けして実施するのです。とても良い教訓を得ました。













2009年5月9日土曜日

明日は試験

従来型司法試験もいよいよ明日ゴングが鳴ります。択一試験です。今年も1万8千人が受験するそうです。で、明日の択一に受かるのはおよそたったの千人だけ。18人に一人しか択一に受かりません。
その後、7月中旬に、択一試験合格者1000人が論文試験を受けます。で、その中から論文試験に受かるのは約100人。10人に一人です。
当初の総受験者数からすると180人からたった一人だけが論文試験に受かるのです。その後は口述試験がありますが、こちらはほとんど落ちません。
とんでもない試験です。絶望という二文字が頭から離れないような怖ろしい試験です。
そんでもって明日の択一試験というのがまた強烈に難しいんです。この世の中には異能の人というのがいて、例えば超暗記力とか暗算能力とか、スゴイ才能を持った人がいます。択一試験でも、めったやたらに早く解くことが出来る人がいます。そんな人にはとてもかないません。そういう特殊能力を持った人が日本には数百人以上います。そういう人に勝たなければならないのです。
しかも、そういう人に限って、論文作成が苦手なんです。ですからそういう人は毎年択一には受かるけど毎年論文に落ちる、というわけで、年々そういう人が溜まっていき、終いには数百人以上になって今日に至っているわけです。
 わたしはとても太刀打ちできません。無理です。ローに入るとその旧司法試験ルートではなく、新司法試験という全く別の独立したルートの試験があり、こちらは逆に択一試験よりも論文試験の比重が圧倒的に高いです。しかもこっちは択一試験と論文試験が同時にあるので、受験生は両方の準備を同時にやらなければなりません。そして、択一試験の点数と論文試験の点数を合計して総合点を出すのです(その際、択一試験の合計点はかなり縮小されるので択一試験でとてつもなく良い点をとってもそれほどアドバンテージになってくれません)。
というわけで、わたしには新試験の方が合ってます。その上約1万人が受験して2500人も受かります。旧試験と比較にならないほど受かりやすいです。
明日旧試験択一試験を受ける人たち、あんたらは偉い!それしか言えません。

話変わって、、、、

朝7時に自宅を出てローにバイクで行くときは冬用ジャンパーで。午後になるとロー内では半袖のTシャツ姿も。一日の気温差の激しさのせいか、風邪を引いている学生が多いです。

今日は土曜日ですが授業もあってます。わたしは要件事実論を受けています。この授業は中山先生という元裁判官、現公証人の先生が午前中1コマ、午後も同じ授業を1コマ教えてらっしゃいます。

とにかく教えることが大好きな先生で、同じくらいというかそれ以上に学生のことが大好きな先生です。予習も完璧な上、学生の名前と顔をちゃんと頭に入れて来られるのです。しかもその日の授業が終わる際、10人ほどに指名して今日の授業の感想、疑問点を紙に書いて次の月曜に提出させるのです。

 ここで気をつけなければならないのは、たくさん書くとエライコトになる、ということです。なんとなれば、先生はその紙をつぶさに読み込んでこれまた頭の中にたたき込んで来られるので、次の授業ではたくさんの感想、疑問点を書いた学生が集中して当たるからです。

 今日の授業に関しては、わたしはなんのしがらみもなかったので、そう毎回毎回当たるわけ無いやろ、なんてくつろいで授業を聞いていたのが大間違い。よほど先生に目を付けられたのか、今日もまた当たってしまいました。

 要件事実というのは、ここだけの話ですが、なんでそうなるの?と言う疑問を持ち始めたらもうきりがないくらいワケの分からん道具です。とことん突き詰めたなら理由が分かって思わず膝を打ってしまうくらい納得するのですが、なぜかきちんとした理由を書いてくれようとしない、えげつないくらい不親切な科目です。

 中山先生はそれをなんとかしておバカな学生に分からせようと、くどいほど繰り返し噛んで含ませるようにして教えてくれます。ほんとに有り難い先生です。

風邪はすっきりと治ってくれません。まだ根っこが残っている感じです。
なのに明日は朝から団地掃除。その後課題予習、そして夕方、択一試験を受験した友人とお疲れ会を。

2009年5月6日水曜日

サヘル・ローズとシューベルト






















発熱で頭が回らない状態ですので、これから先はうわごとを吐いていると思って読んでください。









このところ、クルマでローに行くときは車内でほとんどいつもシューベルトを聴いています。









なぜかというと、すがすがしい音楽だからです。シューベルトってきっと清潔感あふれる人物だったに相違有りません。というか、純粋なんですよ、良くも悪くも。モーツァルトのような天才のひらめきも濃密さも少ないし、ベートーベンのような迫力と情熱も少ないし、スラブ系作家の情緒も少ない。けれども、誰よりも純なんだなあ。朝聴くと5月の朝の少し肌寒いけど澄み切った青空にぴったりなんです。もっと言うと冬が終わりかけてもうすぐ春だというときの早朝、きりりと引き締まった空気のような音楽です。









決して11月の秋の青空ではないんです。11月はというとこれはもうスラブ系の独壇場です。秋冬はチャイコフスキー、ドヴォルジャック、ラフマニノフ、スメタナ、敢えて付け加えるならゲルマン系ではブラームスくらいかなあ。









 話を戻すと、シューベルトがこれほど素晴らしい音楽家だとは思ってませんでした。深い音楽性哲学性は無いかもしれません。でも音がピュアーなんです。聴いていると頭の中の不浄なものが洗い流される、そんなすがすがしさを実感します。今までドイツ人の作曲家はあまり好きではないと思いこんでいたわたしは穴があったら入りたい思いです。








 そういえばロー生でフランスかぶれがいて、1950年代の文化大臣だった作家のアンドレマルローの言葉を引用してました。マルロー曰く、インドはリリジョナルだが日本はスピリチュアルだ、と。つまり、インドと言う国は宗教が濃密な国だが日本は自然のどこにでもスピリットつまり精霊が潜んでいる、と言う意味だそうです。








 その言葉を思い出して、ああなるほどなあ、シューベルトってどっかスピリチュアルなところがあるなあ、と感じました。シューキョー、とコテコテにキリスト教に入れ込んでいるわけでもないんです。いつも遠くを見つめている、世俗と切り離された純粋な魂を感じるのです。









 









 話題を変えて、この前偶然NHKを見てたら、絶世の美女、これこそかの楊貴妃である、とアゴが外れるほどの美人が出演していました。









 イラン人のサヘルローズさんです。昔で言うならペルシャ人です。









ちょっと肌は濃いめですが、背筋と首筋がすらーっと伸びて、8等身、小顔、面長、目はパッチリ、鼻は小振りでちょっと上向き、口は上品でやや肉厚気味、









実にノーブルな顔立ちです。嫌みが全くありません。すっきりした顔立ちです。どちらかというと中性的な感じさえします。









かの大唐帝国の玄宗皇帝の愛姫楊貴妃もペルシア人(ソグド人とも)だったのではないでしょうか。というのも、楊貴妃の出身地は蜀の国、今の四川省、と西方です。しかも玄宗皇帝から皇帝の座を奪おうとした安禄山はソグド人、つまり今の中央アジアのサマルカンド付近にいたペルシア系民族出身でした。







さらに安禄山はなんと楊貴妃の養子になって出世したのです。この二人には何か共通するモノがあったはずで、それはわたしのみるところ、どちらも同じ民族だったのではないだろうか、ということです。ゆえに楊貴妃はサヘルさんのような容姿だったのではないだろうか、と思ったのです。       







 海音寺潮五郎は、奈良時代にペルシア人達が大勢日本にやって来たであろう、と書いています。彼らは鼻が高く長く目も大きかったので、天狗のモデルとなったとも。そして彼らは定着しないでジプシーのような移動生活をして、歌舞や芸を見せて放浪していたので差別されてクグツという蔑称で呼ばれた、とも。多いにあり得る話だと思います。







 我が日本人ほど混血化の進んだ国民はいません。純粋の日本人の中にも一目見ただけでこの人はインド人、あの人は東南アジアの人、そっちの人は中国系、、、とどう見ても日本人に見えない日本人が一杯います。逆にどうかするとタイやベトナムのひとで日本人そっくりさんがいますし、ブータンとか雲南地方に行くとそれこそそっくりそのままです。中央アジアのウズベク族やウイグル族にも日本人そっくりがいます。







 はなしがアジア中にぶっ飛んでしまいました。ついでにトリビアを一つ。イランという国の名前は「アーリア」から来ました。つまり、イランはアーリア人の国、すなわちヨーロッパ系民族の国、と言う意味です。去年大学でエジプトに留学してきたという学生に話を聞いたとき、中近東のイスラム諸国はほとんどどの国も言語が共通しているが、唯一イランだけは民族が違い、言語も違う、と言ってました。イラン人ってどちらかというとヨーロッパ人にとても似ているということです。







 なんでサヘルさんのことでここまでずれたのか、ワケが分からなくなってしまいましたが、とにかくサヘルローズという女優さんは類い希な美女です。







後でネットで調べたところ、イランイラク戦争で両親と6人の兄弟全てを爆撃で殺され、がれきの下敷きになっていたのを後に養母となる女性に助けられ、その女性の元に引き取られたもののその女性は嫁ぎ先から追い出され(サヘルさんを引き取って育てたのも原因だとか)、親戚が日本にいたのでその人を頼って二人で日本に来たのだそうです。この養母と養女の親子の深い絆には感動しました。サヘルさんの大きな目からこれまた大粒の涙がこぼれだしたときは、広隆寺の弥勒菩薩を思い出してしまいました。仏像の姿もヘレニズム文化、つまりインドとギリシャが融合してアフガンやペルシアで生まれた文化ですからどこか似ているのでしょう。







 風邪の妄想も体力が尽きてしまいました。 長らくおつきあい下さりありがとうございました。おやすみなさい。

2009年5月5日火曜日

ノドが、体の節々が、




日曜、女房の実家の手伝いをしたら汗をかいてしまいました。で、風邪をひいてしまいました。




ヤワなヤツです。実家に電話すると、なんと父母義理の姉と、3人が熱を出したそうです。


今時、発熱したなんて言うと豚インフルエンザと疑われてしまいそうでこわいです。


昨日はゼミがあったので無理してローに行きました。図書館2階のゼミ室でやっているのですが、2階ロビーで偶然旧試験からの知り合いに出会いました。わたしよりもおっさんです。その人の連れで、韓国からの留学生と知り合いになりました。日本語ぺらぺら。行政法の大学院にいるそうです。


 夕方、ゼミが終わり、天神の辰巳に民事執行法の講義テープの申し込みに。3万5千円。この学者さん、和田吉弘さんといってもの凄く良い先生です。東大出、司法試験合格、裁判官、大学教授、と優秀を絵に描いたような人。しかも講義がうまいんです。


 辰巳では4月末までフェアーをやっていて、それまでに申し込むと2千円ほど安くなったのです。辰巳の責任者のお兄ちゃんは融通が利かないので、フェアー価格でない一般価格で取りました。


 ちょっと東京の本社に電話して頼めばフェアー価格にしてもらえたものを、と彼のへたくそさにがっかり。


 で、辰巳からローに帰る途中、夕立が降ってきました。風邪を引いている上に雨に降られたらたまらん、とバイクをコンビニに止め、中で雨宿り。


 雨が小降りになるのを待ってローへ。着いたら発熱しだしたので切り上げて帰宅。夜9時から今朝8時まで11時間寝ました。うがいは10回以上して寝たし、半熟卵とバナナのお陰でのどの腫れは大分納まりました。ただ、リンパ腺が腫れたようで節々が痛みます。熱は、たぶん37度くらいだと思います。体温計で測り始めると気になってしまうので計りません。


 今日はそういうわけで自宅にいて明日提出の課題の清書と破産の勉強をたら~りたら~りやってました。


2009年5月4日月曜日

大学ノートの裏表紙に、さなえちゃんて書いたの






















中学高校と、深夜のラジヲから流れてました。RCサクセション。ご存じない方も多いでしょう。忌野清志郎さんがフォークをやっていた頃の歌です。









当時は、正直、すぐ消えるバンドだなあ、と思ってました。変な声と変な歌、妙にだらだらしてて気持ち悪いなんて思っていました。なんてったって拓郎が一番でした。高田渡とか高石友也、岡林信康はおっさん臭く、陽水は暗すぎ、清志郎はキワモノと見ていました。フォークソングは学生紛争と一体になって社会全体の雰囲気を表していました。







その後、四〇台で復活、良い歌を歌うようになっていて驚きました。明るくて元気が出る歌でした。わたしの好きな歌手になっていました。







寂しいです。あの変な声と変な歌い方がもう聞けないなんて。







ガンってほんとに恐いです。














土日は田舎に帰り、行きと帰りの途中、女房の実家で片付けの手伝いを。結果的に休み二日間の使い方としては充実していました、自分の心の気がかりが消えたと言う意味で。







明日からまた勉強できるので、大変有り難いです。しかも、今週の授業は木金土だけ。行政法と倒産法はモラトリアムが出来、嬉しい限りです。







田舎で飼っているバカッチョ犬、チャコはただいま抜け毛の真っ最中で、ちょっとさわるとバンバン抜けます。お陰でシャツもフリースもズボンも毛だらけ。







 そんなチャコと朝散歩に出ると、家の近所の田んぼでチャコが立ち止まったまま動かず、ウウウゥ~と畦に向かって唸っています。またちっちゃな虫とかを見つけたんだろう、と思いつつ、犬の目線の先を見ると、細くて小振りのヘビが草むらの中、じっとしていました。ああ、どこに出もいる青大将だろう、と高をくくりつつ、でも初めて見る形だなあ、頭が妙に小さいというか細いというか、体全体のバランスからして小顔なんです。しかも赤い目がとても小さくて、かえって不気味な感じがしました。体の色は薄い茶色、これは何の変哲もない色でした。ところが、わたしがそばに落ちていた棒を拾ってそのヘビを突いたところ(ヘビからおよそ六〇センチくらいの距離でした)、そのヘビはゆるゆると頭の向きを変えてわたしと逆方向にジワッジワッと動き始めました。そして、しっぽをわたしに向けました。







すると、そのしっぽがまるでガラガラヘビのようにピンっと立ち上がり、そして何と震えるように震動し始めたのです。そのとき、シリシリっとかシャカシャカっと言う音が聞こえてきました。







オッ!これはなんか危ない感じがするぞ、と思いました。そこで犬をそのヘビに向かってけしかけようと、首輪に結びつけたひもを引っ張ると、犬は地面を踏ん張って断じてそっちには行かんぞ、と、強固な意志をもってわたしに抵抗しました。







そのとき、不覚にもデジカメを持っていなかったので、ヘビを撮る事が出来ませんでした。







家に帰ってオヤジに言うと、「それはマムシじゃ。見つけたらうったたいて殺さにゃ!」と。







えー!!あれがマムシなのか!家からわずか四〇メートル先の田んぼにあんなのがいるのか!







と、ぞ~っとしました。で、デジカメを忘れてて良かったなあ、とも。だってもしも至近距離から撮っておこうなんて気が持ち上がったら、きっとモット近くによって写そうとしてたでしょう。そしたらどーなってたか、想像しただけで震えが来ました。







わたしの人生がもうちょっとであっけなく終わるところでした。やれやれ。

2009年5月2日土曜日

クラス全員集中
















今日夕方の公法総合演習の授業はもの凄かったです。①誰一人爆睡も内職もせずに全身耳にして先生の講義を集中して聴いていました。②先生が数日前に出しておいた問題を予習してきて、先生に当てられた学生が答える、というやり方だったのですが、ほとんど全員すげ~量の予習をしてきていました。そこまでやるか、と思うくらいでした。③その、先生が出した設例がまたスゴク良い問題で、本試験さながらでした。考えれば考えるほどいろいろと問題点が現れてきて良問というか傑作ではないかとさえ思いました。④そして、学生の受け答えがもう、スゴイのひと言。予習というか勉強というか、理解の幅と深さに驚嘆しました。⑤最後に、先生の解説がまた広く深くで、、、、、。





これ以上書くと差し障りが出そうなので。





いや、内心焦りまくりました。このままじゃあ負けてしまう、と。





今日は朝8時にローに着き、夕方4時半まで授業がないのでひたすら自習室で倒産法と行政法の本を読んでいました。ところが、4時半からの倒産法が休講になったので、結局朝8時から夕方6時までほとんど机にしがみついていました。でも、やはり一番能率が良いのは午前中です。この生活を10年前、いや20年前にしたかった、と思いました。

2009年5月1日金曜日

4月の終わり







なんか奇妙な感じです。明日から5月だなんて。でも逆にこの4月は長すぎた気がします。昨年のような机寝は無くなりました。その代わり、朝6時起き、8時到着生活になってきました。睡眠時間は4時間半です。



 新学期になって一番良かったのは、自習室の机周りの環境が劇的に良くなったことです。空気がきれいなので、頭がぼわーっとなることがありません。3月まではひどかったです。今もその場所に行くと空気の悪さ、換気の不調、エアコンが効いていない事など、よくもまあこげなところに座っておれたものよ、と呆れます。勉強効率は10倍以上になりました。



 今日は、先週わたしが地獄を味わった刑事法演習、一人30分で刑法の事例を教壇の所に行って先生学生みんなにプレゼンするという拷問のような授業がありました。



 三人のうち、一人は元予備校講師でした。さすがです。彼だけがマイクを使用していました。他の二人は地声だったので、よく聞き取れないところがあり、話の理解度が下がりました。その予備校君は、話術も巧みで、笑いを取りながら説明していました。やはり経験ですねえ。惜しむらくは彼の持ち時間が30分から15分に削られたことです。きっちりと30分間のお話を作り上げていたはずなのに、その前の発表者が45分も使ってしまったのです。



 で、今日は朝8時前にローに到着し、帰ったのは夜10時でした。



バイクで来たので帰りは明治通りという一番華やかな通りを通って帰りました。博多どんたくが始まるので、道沿いにどんたくの提灯が灯されていました。提灯のほのかな灯りって良いですよねえ。子供の頃、お祭りの夜灯される提灯はいつもと違う妖しい別世界を創り出してました。なんか分からずに妙に興奮して寝付けませんでした。今夜の提灯はわたしを半世紀前に引き戻してしまいました。えっ?もう半世紀?ご心配なく。まだあと半世紀残ってます、わたしの寿命は(と思うことにしてます)。今ようやっと折り返し地点に来たばかりです。もっともっと人生を楽しみますよ。生きているって素晴らしい、と毎日実感できる生活をしたいものです。