2009年7月5日日曜日

雨宿り


ローで,『修復的司法とは何か』、についてのレポートをやっとの事で書き終わり、その勢いを駆って要件事実の課題も書いてしまい、時計を見ると3時半。小腹も空いたということで、バイクに乗って近くの小麦冶(こむぎや)といううどんチェーン店へ。



かけうどんがたしか180円くらいです。そこで小麦で作ったざるそば(?)350円を食べ終え、店を出た途端夕立が降ってきました。急いで帰ろうとバイクを急発進させたら今度は大粒の雨に。



こりゃたまらんと50メートル先の明屋(はるや)書店で雨宿り。で、これがなんと2時間も!!



凄い豪雨になってしまい、当分やむ気配もないのです。



まあ、本屋だから本でも読んで待とう、なんて思ったものの、とんでもなく浅はかでした。



2時間も立ち読みなんてできまっしぇ~ん。



もう、しんどいしんどい。ただまあ、面白い本は何冊か有りました。



運気が上がる本なんかを読んでると、毎日運気が上がる癖をつけなさい、すなわち、空を見よ、歯を見せて笑え、物に話しかけよ、、、、、、!?これって、オレも毎日やってるやん、と、なんか嬉しくなりました。



それから、古事記と日本書紀の本、古事記によると、イザナギとイザナミ夫婦からは12人以上子供が生まれましたが、今日、とんでもないことを知りました。



なんと、夫である伊弉諾尊(いざなぎのみこと)は亡くなった妻伊弉冉尊(いざなみのみこと)を追って黄泉の国に入っていきましたが、化け物と化した妻に追われて地上に逃げ帰ってきます。そこで、河原で汚れた体を禊ぎしたのですが、そのとき体からはがれ落ちて水中に沈んだ汚れからいくつもの神が生まれ、また、一番最後に洗って落ちた汚れから天照大神と素戔嗚尊(すさのおのみこと)、そしてもう一人、計三人の神が生まれたと言うのです。



えええ~っ??



全く知りませんでした。第一、男から神が生まれるなんて!しかも、汚らわしい物から生まれるなんて。



しかもそれ以外にもイザナギ夫婦のうんちとかおしっこからも神様が生まれているんです。



 なんてこった!古事記って、とんでもなくぶっ飛んだ奇妙な神話だったんですねえ。ある意味スゴイ想像力だと思います。神々しい物は汚らわしい物から生まれる、ということですから。清濁同源ということなんでしょうか。ふかーい意味があるのかもしれません。例えば、全ての物に神性が宿っているのだ、とか。

下品だけどある意味どっか暖かみも感じました、というか身近さを。


ようやく夕立が収まったのが5時半。やれやれと思い、バイクをキックすると、これがまたうんともすんとも。激しい夕立のせいでエンジン部分に水が入り込んだかと心配しつつ、100回以上キックを続けてようやく掛かりました。


 残りの課題は刑事法のみ。明日朝10時までに書き上げます。



2009年7月4日土曜日

中間報告

今日の授業は10時半から要件事実、2時半から6時過ぎまでたっぷり倒産法実務の補講。
あたまがぼわんぼわんしてしまいました。要件事実では賃貸借の問題で、すらすらと行きました。ま、授業直前に仲良しの女子学生の怒りを買ってしまうことをしでかしましたが。
問題は倒産法です。12時に要件事実が終わって2時間半、集中して予習をしていましたが間に合いません。昨日やった予習場所をもう一度おさらいしてしまったので先に進みませんでした。
とうとう授業開始。わたしは6番目に当たります。と、進路が早すぎるのです。わたしが予習していないところが当たりそうな気配。
まじ~っ!とびびってしまいました。結局当たったところは否認のはじめの箇所。ただ、休み時間を挟んだ次の時間だったので余裕かなあ、なんておっとり構えていたら、民法424条だけでなく、民訴の既判力、法定訴訟担当まできかれてしまいました。慌てました。
6時過ぎ、黒木先生のロー1期生だった教え子の弁護士さんが3人駆けつけてきてちょっとだけ体験談を話してくれました。その後飲み会。
楽しかったです。今夜はデジカメを封印してもっぱらただの飲んべえにもどりました。
明日日曜から月曜午前10時まで、紛争調停のレポートに6時間、刑事法の課題提出に6時間、要件事実の課題提出に2時間かけて仕上げます。
どうにかして終わらせないと。  以上

2009年7月3日金曜日

耳鳴り







昨日からちょっと激しくなりました。疲れでしょうか、焦りでしょうか、耳の中がキーンと鳴っています。



でもあんまり動揺していません。数年前、獅子座流星群が飛来したときはもっとひどかったです。あのときは耳鳴りではありませんでしたが、耳が聞こえにくくなったのです。膜が貼ってあるような聞こえ方で、すっきりしないんです。というか、くっきりと音が聞こえないのでいい加減気が狂いそうでした。アイスピックを台所から持ってきて耳に突っ込みたくなったことが何度あったことか。



それに比べれば耳鳴りなんて可愛いもんです。音楽を聴いていれば気にならなくなるんですから。



 それはともかく、やることが多すぎます。よりにもよって土曜日に倒産法実務の補講が入ったのです。まったくもう、要件事実だけでもしんどいのに、、、



オマケにその補講が終わると先生である倒産専門の弁護士さんが、新米弁護士2人を呼んで夕方から飲み会をやるぞって言うんです。わたしとしては、将来のため、今から開業準備ならぬ営業準備をしておこうと思うので、参加しておこうとおもいます。



でもその後レポート、刑訴課題提出が待っています。



もう、こんな事になろうとは。おかげで今日出席したインターネットと法の出席メールを出し忘れてしまいました。



明日朝一番で酒匂先生にお許しメールを出さないと。



2009年7月1日水曜日

ぼーっとしてたらエライコトに

来週月曜、レビン先生のレポート提出の締め切り。ハワードゼア著、『修復的司法とは何か』と言う本を読んでレポート4枚以上書かねば。その二日後、刑事法の課題提出締め切り、今週土曜、倒産法実務の補講があり、わたしは6番目にあたります。否認権と相殺権を予習しておかねば。で、明後日金曜夕方までに会社法ゼミの答案を提出せねば。
大変ですよこれは。

この前朝鮮日報という韓国のニュースサイトを見ていたら、新しい視点を得ました。その日本駐在の韓国人記者が言うには、韓国は本物の中央集権で、全ての権限が大統領府に集中している、地方分権なんか無い、と。それに比べて日本は江戸時代250年間、地方分権、いや、地方主権が続いた、だから、日本は首都だけでなく地方も豊なのだ、と。
なるほど、と感心しました。江戸時代約265の藩がありました。各藩主は領主であり、徳川氏は征夷大将軍たる地位を授かったけれどもあくまで大名の一つでした。おおむね地方主権だったのです。ですから各藩主は自領を少しでも豊にすべくもの凄い努力を続けたのです。
 それに比べ、中国は4000年間一貫して(いまだに)律令制度を続けています。一人の皇帝が全土を支配し、その下にいる官僚が法を作り法を守らせるという制度です。そこには貴族階級はほとんどありません。地方の豪族はいましたけど、それは中国が広すぎるからです。皇帝の役人の力が及ばない地域が数ありました。日本で言えば藤原氏がのさばる前、天智天皇、天武天皇らが理想として追求しようとした時代です。奈良時代がそれにあたります。今の中国も、共産党という皇帝とそれを支える官僚で構成されています。むかしとなんら変わりません。
 韓国は、いまも平安時代です。王と貴族(ヤンバン・両班)の時代が1000年間続いています。いまもです。ですから、日本の平安時代と同じように地方は搾取の対象に過ぎず、地方を育てるという発想がありません。 国民の8割が農奴だったとも言われています。
 ところが日本には鎌倉時代があるのです。ここが中韓と、いや世界のどの国とも絶対的に違う点です。武士という階級が誕生したことが日本文化をアジアのみならず世界的にみても極めて特殊なものに仕立てたのです。
 武士階級がある、ということは西部劇の時代が日本にあったということです。自分の土地は自分で守る、都の役人も貴族も当てにならない、実力だけが全てである、という超合理主義が武士の発想です。そこから、搾取ではなく領地を育てる、地元主義が誕生しました。もちろん他人の土地を奪う、という略奪も。それゆえに戦国時代がうまれたのですが。
それの行き着くところが江戸時代の幕藩体制です。ですから、上杉鷹山のような領主が大勢出現して地方を豊にしていったというわけです。
 おっさんになってだんだん分かってきたのですが、日本っていう国は本当に地方色が豊に残っています。というより、地方の集合体で出来上がった国なんです。ドイツのラントほどではありませんが藩は大方の主権を持っていたと思われます。
そういうわけで、幕藩体制って地方分権と言う意味においては意外に良い制度だったと思います。今、地方分権と騒いでいますが、モデルは近い過去にあった、と言うわけです。
 ちなみに、日本には奈良時代は奈良、鎌倉時代は鎌倉、室町時代は京都と足利、山口などの地方都市、と、各時代を象徴する都市が今も当時の風情を
残していて嬉しいことです。

ブログ冥利


このブログを続けいていて本当に良かったです。他愛のない戯れ言とへたくそな写真なのに我慢して観てくれている人たちに感謝します。本当にありがとうございます。

これからもますますヘタクソで下らない、思い上がりの塊のような駄文を書きまくる所存です。よろしくお願いします、AAO!(エイエイオーッ!)なんちゃって。

今日は2通、ありがたい方からありがたい言葉をかけていただきました。一生記憶に残る日になりました。

一つは中山先生からの幹事の労い、もう一つはある有名な先生からの励ましのメールです。

1本3000円の高級ユンケルを10本一気に飲んだ気分です。ハイになって鼻息が荒くなってカーッとなって、そして刺激が強すぎて少々体調がオカシクなってしまいました。

詳しい話は来年しますね。



2009年6月29日月曜日

ようやく梅雨が来た


雨音が心地よいです。雨という自然現象はほんと、不思議ですよね。なんで空から水が落ちてくるんでしょう。こんな不思議なことはない、と思うのわたしはオカシイでしょうか。風が吹くのも不思議な感じがします。

こう書いてたら、なんか絵本の中のぶんしょうを読んでいるような気になってきました。幼児に戻ったみたいです。

倒産法、今読んでいるのは伊藤眞さんという東大の巨匠の分厚い本です。結構分かりやすいのですが、量が多すぎて読んだ端から忘れていってしまいます。

それで、山本和彦さんという先生の入門を読んだところ、これがまあ素晴らしいんです。一気に読めます。わたしの好みである体系、構造がスーッと頭に入ります。明日もこの本をドドーッと読むつもりです。

2009年6月28日日曜日

ほっとしました




中山先生ご夫妻を囲んだコンパ、かなりうまくいきました。



総勢34人まで増えました。今年受験を終えた卒業生と修習生が来て、というか、先生の命令で来てくれました。



そのうちの修習生は、午後からの補講の際、学生に勉強の仕方とか質疑応答とかをやってくれました(もちろん先生の指示に従わさせられたため)。



猛烈な勉強をしていたみたいです。おそらく完全未習の人だったんでしょう。



一からやってたった3年で受かるためには死に物狂いでやらないとだめでしょう。



午後5時前、10人以上の集団で地下鉄に乗って天神まで。その前、コンパの挨拶セリフをワープロで打って印刷しようとしてたんですが、プリンターが反応せず、焦ったあげく、あきらめてローを出ました。何とかなるだろう、と。



実際はわたしの挨拶は省略され、先生のご挨拶だけで宴が始まりました。そっちの方が良かったです。



宴開始時刻、前日の予報では雷雨が来るとの予報でしたが、降らずに済んで本当にラッキーでした。奥様が車いすなので雨が降ったらタクシーの乗り降りがヤバイなあ、と懸念してたので。



で、先生ご夫妻の乗ったタクシーが到着するのを5人ほど、外で待っていました。店がある場所は交通量がすごくて、スムーズにタクシー下車をこなさないと、と思って待機してたのです。



すると、思わぬ小道から先生が奥様が乗った車いすを押してやってくるではありませんか。やられた!と感嘆しました。先生は道路状況をあらかじめ把握した上で、トランクから車いすを出して奥様がいすに乗り移る作業をしやすいような別の広い道へタクシーを誘導していたのです。そしてそこから車いすを押して来られたのでした。ほんと、この先生は配慮、思慮が広くて深いです(上から目線で申し訳ないですが)。



ただまぁ、わたしに対しては容赦ない量の雑用指示が来るのにはもうちょっと配慮してもらいたいです。



それはともかく、宴会は自分でも満足度90パーセントは行きました。残り10パーセントは参加者が実際どれくらい楽しんだかによりますから、自分では判断できません。



 一番良かったのは部屋です。完全個室でほかの客のこと、騒音の心配がゼロでした。店側の配慮も行き届いていました。その店のウリは和風の店内にジャズが流れるという粋な雰囲気作りをしているのですが、下見をしたとき、ちょっと音が大きいなあ、と不安感を抱いていました。けど、いざ宴会が始まると音量を落としてくれていたのです。


 そのため思う存分おしゃべりができました。


また室内の広さ、明るさもちょうど良く、たいがいの人たちが席を移動し、知らない者同士が仲良くなったり卒業生や修習生と学生との交流が出来ていたりしていました。それを率先していたのが先生です。すべての座席テーブルを自ら回って座り込み、学生たちに入り込んで楽しいお話をされていました。偉い先生がふんぞり返って学生がお酌をしに順番を待っているというおぞましい光景など微塵もありません。この先生は本当に心の底から学生が好きなんです。


このような光景が繰り広げられ、みんな楽しそうでした。



で、先生がみんなのテーブルに出回っていた間、先生の奥様が座ってらっしゃる席には学生たちがおじゃまして奥様のお話を伺ったりして、奥様も熱心にお話されてました。



 昭和40年代、札幌地裁旭川支部に転勤になったときの寒さのすごさ、とか、一番上の娘さんが裁判官で、その旦那様が弁護士なんだけど、妻の転勤に従って夫も弁護士事務所を替わる、と言う話には驚きました。



 宴も終わり、外に出ると、絹のような小雨が降っていました。



6月に指示された二つの雑用、ゼミ生募集班分けとコンパ、全部終わりました。どちらも大変な作業でした。自分自身意外にシャイなので、知らない人に話しかけるのにはエネルギーを使いました。



ただ、前にも書きましたけど、そのおかげで知り合いが一気に増えてもの凄く有りがたい思いをしています。



知り合いと言えば、きのう、超うれしいことを聞きました。卒業生の女性から伺ったのです。その人はわたしのこのブログをご覧になってくれているのだそうです。それだけでも嬉しいのに、その理由がまたメッチャ嬉しいのです。



 うちのローにわたしが入学する前の年まで、わたしの大好きな民訴の先生が特別講義をしに東京から来てたんです。和田吉弘さんという超優秀な先生です。辰巳から出したライブ民訴という本の著者です。その前に、民訴講義とか過去問講義とかを辰巳でされていて、その全部を聞いていてこれはスゴイ、と思っていたのです。ライブ民訴という本は過去問講義のテープを文章化したものです。その先生はうちのローに民事執行法の講義をしに来られていました。和田先生は民事執行法についてもわかりやすい本を書かれていて、その解説講義テープも購入して聴きました。


実はわたしがこのローに入ろうと思った理由の一つがこの先生の民事執行法の講義を聴くためでした。ところがわたしが入学したらすでに辞められていました。がっくりです。



 そういう先生のことをわたしが以前このブログで書いたのです。



すると、和田先生が(ここからは伝聞です)、九大ローで自分のことをブログに書いている学生が二人いる、それは誰だろう、と東京のご自分の所属する大学で学生に話したのだそうです。で、なんとそれを聞いた学生が九大ローに入学し、みんなにそのことを話したのだそうです。そこで犯人捜しではありませんが、和田先生を話題にしたロー生探しを数人で手分けして検索したのだそうです。



それでこのブログを探し当てたのだそうです。



その女性は前からそのことをわたしに話そうと思ってらっしゃったんだそうです。はは~ん、それでかぁ。いや、その女性とはほとんど面識が無かったのに、廊下ですれ違ったときなど、丁寧にご挨拶をくださるので、なんか変だなあ、と思っていたのです。



 きのうはそれ以上のお話を聞くことが出来ませんでしたが、ひょっとして和田先生がこのブログを見てたりしたらどうしよう、とおもうと冷や汗がでます。



それに、そもそも和田先生は一体どうやって九大ロー生二人が自分のことを書いている、と分かったのでしょう。それも謎です。



 ともあれ、いろんな方がこのブログをご覧になっていることを思うと(というか、ブログとはそもそもそれを目的としているのでわたしの思いは不条理ですが)、今までのようないい加減な書き散らかしが出来なくなってきそうで困ってしまいます。