2011年7月26日火曜日

総括

指宿たまてばこ温泉は、行って良かった温泉ベスト3に確実に入りました。
豪快壮大な大自然を目の前にして入る露天風呂の気持ちよさったらもう、ここに住みたいとすら思いました。
秋田乳頭温泉鶴の湯も良かったです。しっとりと歴史に抱きしめられる感じがしました。
阿蘇の雄大な眺めを見晴らすことが出来る久住高原コテージもスッカーっとして最高。
それらと肩を並べる、素晴らしい温泉でした。感謝。

知覧に到着したときすでに午後3時。知覧の有名な武家屋敷通り、歩きました。意外でした。知覧というところがこんな山の中にあるなんて。どこか島原武家屋敷や萩の屋敷道と同じように海が近いものだと思いこんでいたのです。
こんな山の中にひしめき合って序列の厳しい武家社会を形成していたのですねえ。ここでずっと暮らしていた人たちはさも息苦しいことだったでしょう。
武家屋敷の一つに御茶屋さんがあって、そこに上がっていただいたジャンボ餅はもの凄く美味しかったです。京都のみたらし団子の嫌らしい甘さがなく、いくらでも食べたくなりました。また、同じ京都の今宮神社にある有名なあぶり餅よりもはるかに美味しかったです。そこで頂いた知覧茶がまた、スゴク美味しくてびっくり。お茶と言えば何と言っても八女茶が一番と思っていたので、高い鼻を折られてしまいました。さっぱりとしてて、なおかつ芳醇な味わいでした。もう最高。女房が水出し茶を買って帰ったのですが、後日飲んでみたところやっぱり美味しかったです。
その茶店で、バイトのおねーさんに知覧特攻記念館は何時まで開いてますか、と尋ねると、あと10分で閉館しますよ、と言われ、ガックリ。

☆今のところ、毎日兄貴の事務所通いを。事務所に民事再生法の実務本があり、ときどき裁判資料分析の合間に読んでます。実務ってほんと、あれこれと書類仕事が山盛りで、きつそうです。なれた人にはルーティンなんでしょうが。

☆☆この前田舎に帰った折り、同じ市内の豊前長洲という港町で花火大会があり、二番目の兄の嫁さんとわたしの母と3人でクルマに乗って見に行きました。花火大会はきっと道が渋滞してて、混雑してるだろう、はたして辿り着けるだろうか、と危ぶんでいました。
なんとか辿りつくと、たくさんの見物人で港がぎっしり。小さな漁港を舞台に花火大会をやるというのもまた乙なものでした。気持ち良い潮風がゆーったりと海から吹いてきて、茜色に輝く夕空はみんなのワクワク感を表すかのようにゴージャスなオーラを放っていました。
実は花火大会に行こうと言い出したのは母なんです。母は、警察官詰め所のあるテントで、警邏中の警官からパイプ椅子にお座りください、と勧められて、ありがたくちょこんとその椅子に座って夕空に上がる花火を口を開けて見上げていました。

☆☆☆その前の日に、同じ宇佐市でも山あいにある安心院(あじむ)の『佐田 京石』というストーンヘンジを見てきました。これはまたもの凄い古代遺跡でした。
イギリスのストーンヘンジのような環状列石が山の中にドスンとあるのです。思わずほとんどの石を撫で撫でしてきました。なにか御利益がありそうで。

2011年7月24日日曜日

指宿、知覧画像

絶景たまて箱温泉
海と山が迫ってくる
超オススメです。
知覧
両棒(じゃんぼ)餅。絶品!知覧茶がまたスゴク美味しい。

長袖シャツ着てます、それでも寒いです。

台風6号が高知沖から右旋回した時くらいから、こちら博多は10月の爽やかな初秋のようです。
わたしが、大好きな久住高原のコテージに居るみたいだというと、女房のヤツ!あら、違うわよ。ハワイがこんな感じよ、とほざくのです。自慢じゃありませんが、わたし一度も海外に出かけたことがありません。ですんでハワイがどんなに過ごしやすい気候なのかちっとも知りませんから。
と、ひがむのも勿体ないくらい、素晴らしく気持ちの良い毎日です。
昨夜(金曜の夜)はあまりの寒させいで却って眠れないくらいでした。
本当なら暑い暑いとブーブー言ってるハズなんです。真夏なんですから。
少し不気味な感じもします。


で、先週まで、猛烈に忙しかったです。日中は兄貴の事務所に出かけて裁判記録をずーっと読んでまとめてました。
夜は知り合いのロー生から頼まれた民訴課題30数問をウンウン唸りながら作ってました。
お陰で自分自身の勉強にもなりました。伊藤と新堂高橋では訴訟物のとらえ方、発想の原点が全然違うこと、とか、管轄をすっきり整理できたりとか、上訴の構造とか。
強制的、時間制限の下でやらないとだめですねえ、何事も。


兄貴の事務所で読んでいる裁判記録ですが、よくある損害賠償事件でして、ただ、原告の言ってる
ることがデタラメであることをどうやって暴くか、初めは何をどうやればよいのかさっぱり分かりませんでした。
読み始めは、弁護士ってこんなにめんどくさい仕事ばっかりやらなきゃならないのかと、うんざりしてました。原告も被告も証人もみんな言ってることがバラバラで、読んでるこちらの頭も破裂しそうになりました。自分はこんな仕事、向いていないのではないか、とまでも(まだ受かってもないのに)。
すると、兄貴が言いました、裁判官は記録を100回読むぞ、と。え~っ??ホンマカイナ!
わたしが2年前裁判所見学に行って裁判官室の様子を窺ったとき、若い裁判官達は記録をパラパラめくってパソコンに何か打ち込んでましたが、同じ記録を100回も読んでいるとはとても思えませんでした。むしろたった1回さら~っと読んだだけでスーッと頭に入っているかのようにみえたのです。
それで、嗚呼、オレはとても裁判官の素質は無いなぁ~っとガックリきたのです。
でも、兄貴の言う方が正しいのではないか、という気にもなりました。昔むさぼるように読んでいたイギリスの推理小説ではありませんが、天才探偵でもない限りパッと真実が判る、誰がどんなウソをついているかなんてことがパッと解るはずがありません。証拠と証言以外に事実認定の素材がない(弁論の全趣旨という例外はありますが)裁判官がきちんとした裁判を心がけるようにしているのなら、やはり何度も何度も記録を読まざるを得ません。
それでわたしも気持ちが随分楽になりました。


それはともかく、倒産法と行政法の勉強もしなければ。これもまた時間とやることを決めて締めきりを決めてやらないと。

☆宮崎鹿児島旅行の最終旅程のアップ、直ぐやります。それから、先週実家に帰ったとき、田舎にあるストーンヘンジの写真を撮ってきました。これはスゴイですよ。乞うご期待。

2011年7月20日水曜日

更新が~

一気にいろんなことが起きて、更新がままなりません。
仲間からSOSが来てローの課題を手伝ったり(それがまた猛烈な問題数でして)、と同時に兄貴から
事務所に来い、訴訟資料を読め、と言われて事務所通い。
その上女房の実家とわたしの実家に帰る用事も。
ほんまにシンドイです。
一段落してからきちんと更新します。

2011年7月9日土曜日

人間ドックとストレステスト

今週、人間ドックで検査を受けました。バリウムを飲まされるときって本当につらいです。まずお腹をガスでふくらませるための炭酸の粒、それを飲み込んでゲップを我慢しながらさらにあのどろっとつるっとした憎むべき真っ白野郎、バリウムを飲み込むとき、本当に吐きそうになります。
おまけに飲み込んだらすぐ寝台がぐるぐる動いて余計に吐き気が増加。
それから、1時間後の検査結果を医者から聞くとき。もしもどこか悪いところがあるって言われたらどないしょ?
結局、どこも悪くないと言われてホッと一息。
病院から出るとき、なんか体が軽くなった気がしました。


☆管総理が突然ストレステストをやるって言い出して政界が大騒動、海江田経産大臣が、登ったはしごを外されてメンツ丸つぶれ、海江田さんは九電からも足を引っ張られてますます怒り心頭。
でも、問題なのはマスコミです。大手マスコミこそが今の日本の巨悪の張本人です。
その理由1
松本龍のオフレコ命令に毅然として立ち向かったのは東北の放送局唯1局だけでした。オフレコ依頼は前もって『これから言うことはオフレコにしてくれ』と事前に言わなければなりません。ところが龍は暴言放言をした後で自分の失態を隠そうとしてマスコミを脅迫したのです。
これにビビッた大手マスコミはこの顛末を完全にもみ消したんです。これを東北放送が全部ありのまま放送してこれがユーチューブにアップされあっという間にネットで広がったので、大手マスコミもこれに便乗して放送しだしたに過ぎません。卑怯者の集団です。松本龍のバックに控える集団にビビッたのです。
理由2
ストレステストをやらずにただ安全宣言を出した安全保安院こそ糾弾されるべきなのに、マスコミは管政権の足並みの乱れや管の独りよがりばかりを責め立てています。
そもそも、ストレステストこそ、あの『想定外』を『想定内』とする特効薬じゃないですか。管がこれを言い出した時期が悪いとかいう問題ではなくて、今現在ヨーロッパで実施されているストレステストをなぜ日本もやらないのか、原発事故を起こした日本こそより強度のストレステストを実施すべきだとせっつくのがマスコミのやるべきことではないでしょうか。
わたしは前々から、飛行機が原子炉につっこんできたらどうするのか、と言ってきました。それが、このストレステストの検査内容の一部に採用されているのです。思わず膝を叩きました。そーだろー、原子炉に飛行機が墜落することが全くあり得ないとか、想定外だなんて絶対に言わせてはならないのです。だって、現実に飛行機が故意か過失かで原子炉に落ちたときにはもう、後悔しても遅すぎるのです。玄海原発に墜落したらマジ九州は終わり!です。


と、ここまで書いていたら毎日新聞社説がわたしと同意見を示してくれました。以下掲載します。




毎日社説:原発耐性試験 欧州以上に徹底せよ



 政府は全国の原発施設に「ストレステスト(耐性試験)」を課すことを決めた。本来、もっと早く実施すべき施策であり、ここに至った経過にも疑問は残るが、各原発の安全性を評価する上で一歩前進だ。
 東京電力福島第1原発の事故後、原子力安全・保安院は複数の応急措置を指示してきた。しかし、各原発の脆弱(ぜいじゃく)性が総合的にどう克服されたかは示されていない。
 福島のように設計上の想定を超える事象が起きた場合に、原発の安全性はどう確保されるか。さまざまな防護策が次々失敗し過酷事故にいたるまでにどれぐらい余裕があるか。ストレステストでは、総合的に示すことが求められる。
 テストの手法と実施計画は、原子力安全委員会の要請に基づき保安院が作成する。手法や項目はテストの信頼性の要だ。初めから「合格ありき」にならないよう、時間をかけて緻密に作ってほしい。テスト終了まで再稼働を見合わせるのは当然だ。
 福島の事故を踏まえた原発のストレステストは、すでに欧州連合(EU)が6月から実施している。地震や洪水、竜巻、豪雨といった自然災害に加え、航空機墜落やテロ攻撃なども評価対象としている。
日本では主に津波・地震を対象とするが、過酷事故は何が要因で起きるかわからない。事故の当事者である日本のテストがEUより手薄というのもおかしい。中途半端なテストに終わらせず、欧州以上に徹底した試験を実施してほしい。
EUのテストでは電力会社の報告を国が点検し、これをEUの専門家チームが相互審査する。日本では、原発推進の経済産業省と規制当局である保安院の一体化が懸念され、電力会社の報告を保安院がチェックするだけでは信頼性が保てない。
少なくとも安全委が各原発のテスト結果について独立した立場で評価する必要がある。強い権限を持つにもかかわらず安全委のこれまでの姿勢は消極的過ぎる。もっと積極的に安全確保にかかわるべきだ。
それにしても一連の経過はお粗末だった。海江田万里経産相は、応急措置に基づいて九州電力玄海原発など定検中の原発に「安全宣言」を出した。菅直人首相もこれに同調していたと見られるが、一転してブレーキをかけ、あつれきを生じている。
テスト自体に意義があっても、こうした一貫性のなさは国民の不信につながる。ましてや、これも「首相の延命策」と見られる始末だ。
混乱を背景に、経産相は「テストは安心のため」と述べている。しかし、国民は単なる安心を求めているのではない。実質的な安全評価にこそテストを役立ててほしい。




理由3
九電やらせメール事件で、このことが明るみに出た理由は内部告発が発端です。でもこの事件は佐賀での公開説明会が開催される前から噂になっていたんです。赤旗では一面で掲載してました。つまり今の大手マスコミは自分からは何も探り出そうとしない、危険を冒してでも真実を探求しない、政府に対抗する言論という責務を放棄したのです。いや、その能力が無いのかも。


日本テレビの村尾キャスター、良いですねー。元大蔵官僚ですが、もの凄く良い。バランス感覚と正義感、人間性、情熱、全てにおいて日本のリーダーに一番ふさわしい人です。
その根拠:ニュースゼロを見てたら彼が伊方原発を見学した様子が放映されていました。
そして、わたしが想像もしなかったスゴイことをズバッと言ったんです。それは何かというと、愛媛県の西の端、佐田岬半島を切り開いて建てた原発に向かう道路が、なんと山道唯1本だけなんです。その山道は山あいを削って造ったものなので、地震や台風などで土砂崩れが生じやすく、消防車や緊急車両が原発事故対策に向かうことが出来ないことになるのです。
これでも十分安全だなんてよく言えるものだ、といわんばかりの口調で報告していました。
うむむ!偉い。現場を見なければ分からないことって絶対あるのです。村尾さんはただ単に見学に行ってきました、という安直な姿勢ではなく、緊張感を持って原発の安全性を心の底から願って行ったからこそこういう欠陥が分かったのです。あなたは本当にスゴイ。
一体どういう人物なのかウィキペディアで調べたところ、もっとスゴイひとでした。三重県知事に立候補したのですが、民主党推薦を断り、政党に頼らない市民運動で戦ったのです。見事な惨敗。なんかこう、美学があります。スジが通っています。素晴らしい。で、なんで三重県なのか、というと、その前三重県知事だった北川さんのとき大蔵省から総務部長として出向してきてあの有名な北川県政を率先して遂行したのが縁だったんだそうです。
こういう人こそ総理になって欲しい、と思いました。

2011年7月6日水曜日

指宿

指宿駅前
指宿駅前 閑散
開聞岳が見えてきた
感動の露天風呂パワースポット

大感動!
鹿児島から更に南へと、日産ルークスはぜーぜー喘ぎつつも頑張ってくれました。
目指すは指宿のもっと南にある絶景露天風呂。ヘルシーランドというかなりチープなネーミングの露天風呂です。しかししかし。
いや~、大感動!すんごい大パノラマで、絶景露天風呂トップ3に入ります。大自然の真っ只中という感じで、脱衣場から露天風呂に出た瞬間、ここは絶対にパワースポットだと確信。
泉質も鉄さび色で少し塩分が入った、長湯温泉のような感じでした。温度も熱めでまさしく天然温泉掛け流し。
とにかくスゴイ、のひと言。男湯からはニョキッと立っているマッターホルンのような険しい山が、そしてその真下は白い大波が押し寄せる浜辺。それらを露天風呂に浸かりながら、海側から吹いてくる生暖かい強い風にに顔と両肩を打たれてぼーっと眺めていると、なんだか周りから不思議な力が体内に染み入っていく感覚を覚えたのです。
白波がザブンザブンと音を立てている海の向こうを見晴らすとそこは大隅半島の先端、佐多岬。
翌日台風がやってくるというので、この強風は尋常ではなく、しかも南の熱風を伴っているので余計に自然を感じたのでしょう。
こりゃー、今度は真冬に来なければ、との願望が。今でさえもの凄く感動したのだから、これが真冬の冷たい強風下でこの熱い露天風呂に浸かったらもう、最高以上間違いなし。
わたしが入ったときは誰もいなくて独り占め状態でした。
あんまり感動したのでデジカメをロッカーから持ってきてバチバチ撮りまくりました。
この露天風呂、マジで最高でした。
女風呂の方からは開聞岳がズドーンと海の向こうに鎮座しているのが見え、これまた絶景だと女房が言ってました。

指宿ではマンゴー農場直営の店でマンゴーアイスを食べました。
濃厚でした。
温泉入浴後、朝、小林のホテルで食べた朝食(パンとサラダのみ)以降はマンゴーアイス以外何も食べていないため空腹を感じつつも、時間に圧されて知覧へと急ぎ足で向かいました。
続く





鹿児島


桜島の噴煙がこっちに迫ってくる 。写真をクリックしてください。拡大されます。
 
もうすぐ噴煙の中に突入

とうとう降ってきた

鹿児島のちんちん電車線路に芝生が
喜入の石油備蓄基地

喜入石油備蓄基地を指宿スカイラインから















小林でHくんご家族からたくさんおみやげをいただき、感謝しつつお別れを。
もの凄く歓待していただきました。みなさま、本当にありがとうございました。
小林から高速に乗って鹿児島の一つ手前のインターで降り、錦江湾に沿って鹿児島へ向かいました。
すると桜島から上がった噴煙が一筋、こちらに向かって攻めてきました。
ピンポイントで火山灰に直撃されました。辺り一面真っ暗になったと思うやいなや、フロントガラスに黒い雨粒のようなものが音もなくパパパッと印刷されたみたいになりました。
およそ4分くらい黒い雨の中を走り続けました。コリャたまらん、いつもこんなんじゃあ、とても鹿児島には住めないなあ、何もかもが真っ黒くろすけになってしまうのですから。クルマも痛むし、なにより肺が弱いわたしには致命的です。
しかしまあ、鹿児島の人たちも我慢強いです。こんな生活を毎日送っているなんて。


鹿児島はやはり錦江湾の大きさにスゴク圧倒されました。いわば滋賀県と琵琶湖の関係、のような感じを受けました。この錦江湾は海中に沈んだカルデラでして、もしも錦江湾の出口が塞がっていて湾が陸地のままだったら阿蘇を抜いて世界最大のカルデラになっていたのに。
鹿児島の街は熊本や仙台と似ているようでした。アーケード街が広くて立派なんです。しかも、わたしの気のせいかもしれませんが、熊本よりも鹿児島の方が街として大きいような気がしました。とにかく大都会です。
ただ、九州新幹線の駅、鹿児島中央駅は、うっかりすると通り過ぎてしまいかねないような、意外に狭いところでした。
ちんちん電車、懐かしかったです。新型のトラムは床が低くてヨーロッパ調なところがクールでした。
鹿児島から指宿に向かう途中、喜入(きいれ)の石油備蓄基地を通りました。巨大な石油タンクがずらーっと並んで壮観でした。
鹿児島から指宿までは結構遠かったです。
続く